SSブログ

明日は卒業式 [ゼミ・教育]

 明日は四年生の(当たり前だ。)卒業式だ。1月下旬に最後の授業があった後、ほとんどの学生と会ってはいない。まあ、大学自体が休みになると学生の姿を見掛けなくなるので、当然と言えば当然だが、いざ、これで最後だというと、わりあいあっさりしたものだ。

 大学の後半2年間、それなりに多くの授業時間や指導をしてきたが、学生にとっては、いい先生ではあっても、それ以上のものではないのかもしれない。

 これは前から何度か書いてきたことだが、学生にとって大学の授業というのは、卒業資格をとるための必要条件、単位を積み上げるための必要条件という意味合いが強いように思う。もちろん、そうではなく、何かを学びたいと思っている学生も多いが、実際に何かを学んだ、と胸を張って言える学生がどれだけいるのだろうか。

 そうなるのは、大学の教育システムに問題があるのだろうとは思う。前回書いたように、一つのものを身に付けるためには膨大な時間が必要なのに、とっかえひっかえ、いろいろな授業を幅広く取らせるような、また取らなければ卒業できないようなシステムだから、学生は、とにかく一つのことを深めるよりも、幅広く単位を取ることに専心するようになる。

 その結果、結局何を身に付けたか分からない、という感想を抱くことになる。

 今日、就活中の三年生(もうすぐ四年生)の一人に会って、話をした。回りの大学に比べて自分の大学が見劣りする、と言うので、問題はどこの大学にいるかではなく、大学にいる間に何を勉強したかだ、という話をした。

 そこで、しかし、それなら、この大学にいる三年間にいったい何を身に付けたのか、分からない、と答えた。彼は決してサボりがちな学生ではない。それどころか、かなり出来る学生であり、僕のいい加減なプリントの間違えを訂正してくれるし、ほっといても一時間の間に、それまで勉強したことのないJavascriptをオンラインで調べて簡単なスクリプト処理をフォームに組み込んでしまうような学生なのだ。

 一体、どこに問題があるのだろう。あるいはどう対処したらいいのだろうか。

 明日の卒業生よりは、その三年生の方をうまく指導して来れたと思う。しかし、それでも、「一体何を身に付けたのだろう」と言われてしまう。来年こそは、学生がそういう風に言わないでも済むように、就活で胸を張って自分のしてきたことを説明できるように、舵取りをしていきたい。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学校

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。