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日本語スクリプト言語wythonのスタンス [wython]

最近、so-netのブログがよく落ちるので、更新がとびとびになってしまっています。すみません。

 世の中でwythonがどの程度言及されているかを調べるために、Googleで検索をしてみたら、40数件ヒットした。余り話題になっていないことがわかった。しかも、かなりのものは意識的に言及しているのではなく、検索結果を自動的に表示しているようなページだった。

 そのこと自体は、そもそも実装もなしてやっていることだったので、仕方のないことだと思うのだが、こういうブログで半年以上、ばらばらに書いてきたことが裏目に出て、言及されている場合も、古い記事の方が引っかかっている場合があった。特に細かい仕様などは、ああでもない、こうでもない、と書いてきたので、その時々に揺れがある。本当は、オフィシャルなページを作ってそこできちんと最新情報のみを管理した方がいいのだろう。ということは何日か前に書いた。しかし、現実にオフィシャルページを作るとなると、それなりに準備がいるので、すぐにアップするわけにはいかず、ふたたび、このブログで少しずつ思いついたことを書いていくことにする。これが貯まればいつかはオフィシャルページに結実することを願って。

 さて、そうやって日本語プログラミング言語をあれこれ検索していみると、その中に、日本語プログラミングの歴史と現状についてプレゼンをしている資料があった。発表時期は2005年6月4日だが、wythonは2005年1月の時点での参照であった。ここで、wythonは第2.5世代のプログラミング言語に位置付けられ、さらに「日本語プログラミングコンテストに刺激されたり、それ以降の日本語プログラミング言語ブームに刺激されて登場したと思われる。市場シェアはまだない。」とコメントされていた。

 これは、wythonのみについての言及ではなく、第2.5世代のプログラミング言語、すなわち、昨年の夏に行われた「日本語プログラミングコンテスト」以降に発表されものについての総評だが、少なくともwythonについては当てはまらない。wythonは僕のプログラミング関係演習で、どうしたら初心者にプログラミングの肝を教えられるかを考えているうちに思いついたものだった。何とか分かってもらおうと日本語でプログラムの一行一行に説明を書いていくと、かなりの学生が分かるようになっていった。それなら、最初から欧文でプログラムを勉強するのではなく、日本語でプログラミングの本質的要素について理解した上で、それを欧文のブログらミング言語に移し替えていけば、理解が進むのではないか、という発想である。

 だから、wythonは完全に初心者向けの教育用言語に特化している。他の日本語プログラミング言語は、ほとんどのものが初心者からベテランまで使え、少ないコーディングでいろいろできる便利な命令を備え、ビジュアルな開発環境もついているし、ビジュアルなプログラムも驚くほど簡単にできる、ということを標榜している。しかし、wythonにはそのいずれも備わっていない。それらの真逆である。

 開発環境は何もないので、エディタで作る。プログラムはコマンドラインで動かす。命令は、そのうち多少増やしはするが、動詞に類するものは非常に少ない。いわんやグラフィカルなプログラムは作れないし、そういう命令や関数もない。ベテランが使うものでもない。

 しかし、これらは決して欠点でも不足点でもない。最初からそんなことは考えていないのである。いやむしろ、ある意味ではwythonは極めて高機能な言語だと言ってもいい。それは自然に、スムーズにPythonに以降でき、あるいはPythonのコードと混ぜて使うことが出来る。wythonの発展した形はPythonであるとすれば、その機能は極めて豊富ということになる。

 また他の言語が全てWindowsに特化しているのに対し、wythonはPythonで実装されているので、Pythonがインストールしてあるところならどこでも使える。これは利点であって欠点には決してならない。

 さらに、「プログラム」の本質的構成要素を学ぶためのものであり、しかもPythonに移行することを前提にしているので、Pythonのプログラムと一行単位でほぼ対応がつけられる。もちろん、純粋にPythonで書くならば、Python流のコンパクトな書き方をすることができるが、そういう部分は逆にPythonの独特の部分であり、プログラミング一般の勉強には適さない。つまりやや冗長であっても、wythonで書いたプログラムは、たとえwythonの処理系がなくても、そのままPythonに容易に書き直すことができる。

 そもそも最初の助走を除いて日本語で最後までプログラミングを続けることには無理がある。できるかもしれないが、それは他のものとかなり異質な概念と用語と仕様の中に閉じこもることになり、それがいろいろな言語を使うことを妨げることになってしまう。

 wythonは、たとえ実装されていない部分があっても、それで書くことによって、Pythonプログラミングの日本語によるコメント、あるいは擬似コードとして使うこともできる。たとえば、現在wythonには正規表現は実装されていないが、それをwython風に書くことは容易である。それをPythonの書き直すのも、機械の手を借りることなく、簡単にできる。こうなってくるとwython自体は、プログラミング言語だが、処理系にそのものさえ不要な言語だと言うことになる。その意味ではPythonのベテランでも、使い道があると言える。

 こういう考え方で作られた言語は、少なくとも日本語プログラミング言語の中には存在しないように思う。その意味でwythonは画期的な言語ではないだろうか。(もうちょっとしっかりドキュメントができていればだが。)


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