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一人の人が作れるソフトウェアー [プログラム]

昨日、卒論に取り組む姿勢について書いたが、実は、書きたいことは別のことだった。書いているうちに、最初の意図とは違った方向に話がいってしまった。そこで、きょうもう一度、最初に書こうと思っていたことを書くことにする。

 もちろん、多少は関連はある。何度か話を戻したいと思いつつ、書いていたから。卒論を一年かけて取り組んでいくと、予想以上に規模の大きいものになっていく。卒論のための卒業制作でソフトウェアーを作っていく場合にも、同様に、一年間作り続けていると、相当の規模のソフトウェアーになっていく。ある意味では、ソフトの規模は時間に比例するところがある。単純に増加していくわけではないにしても、物理的に時間をかけることで、いろいろな機能を追加していくことができるから。

 しかし、もう一方で、一人の人が把握し制御できるソフトの規模というものには、ある程度の限界がある。それも人によって、能力によって違いはあるだろうから、厳密な限界というわけではないが、ある線を越えると、一人で維持するには大きすぎる、という段階が必ずやってくる。

 これは一人の人に限らない。現代のソフトウェアーは、肥大化の傾向にあり、一人でゼロから作ることは不可能に近い。すでにある様々なライブラリーなどを利用して、作っていくことになる。それでも、その全体の動きは、作った人の計量できる範囲を超えていることがしばしばである。動かしてみてから、バグをチェックする、ということが行われ、そのためのテストの仕方の研究も進んでいる。

 それほどではないにしても、いろいろな機能を追加し、それらをバグのない状態に保っておくことは、規模の増大よりも遙かに急速に難しくなっていく。それが、公開し多くの人に実用的に使ってもらえるようなソフトウェアーであるならば、なおさらで、バグのない状態に保つのは、全体を制御する以上に労力が必要となる。ユーザーからの様々な要望や不具合の報告に対処するためには、相当の時間を要するだろう。

 そのようなソフトウェアーは、次から次へと開発できるものではない。そんなことをしたら、体がいくつあっても間に合わない。それなりの規模で、人々に便利に使ってもらえるようなソフトは、一人の人がある一定の期間、たとえば、数年くらいの間には、一つ以上作るのは難しいのではないだろうか。

 実際、世の中でフリーであれ、シェアウェアーであれ、多くの人に使われているソフトの作者は、ほとんど一つのソフトを維持管理しているだけだろう。一人の作者が複数の現役のソフトを維持していることは稀だ。つまり、一人の人が作って維持できるソフトというのは、たいてい、一つが限度であるように思われる。そのソフトが、その人の顔になる。あるいは、そのソフトとその人は一対一対応で、いつもセットで思い出される。

 それくらいのソフトを作れるようにがんばってほしいし、そうやって作ったソフトは、ずっと自分の息子と思って育てていってほしいと思う。

 (僕自身は、いくつかのソフトを作り、本当は、アップデートなどもして維持管理しなければならないのに、放置しているので、残念なことに決していいお手本にはなれない。)


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