ワンちゃん、草木を大切にしてね! [仏教]
これは、うちの近所の慎ましやかな豪邸の塀の植え込みに差してあった小さい立て札に書いてあった言葉です。
この立て札の言いたいことは、分かりますよね。植え込みに犬がおしっこをしていくので、困っているのです。普通、そういうときには、「犬のおしっこ、お断り。」とか「フンは飼い主が始末しましょう。」とか、要するに飼い主に向けて注意を促すプレートを貼っていることが多いでしょう。しかし、その家では、飼い主ではなく、犬にお願いする立て札を立てていたのです。
その家を「慎ましやかな豪邸」と言ったのは、広大な屋敷というわけではなく、最近建てられたにもかかわらず木造和風の邸宅で、実にしっかりした柱を使って立てられています。門かぶり松があったりもします。うちと違って家の手入れも行き届いています。だから、犬のうんちやおしっこには迷惑していると思うのです。
しかし、その家の豪華だけど慎ましさを感じさせる造りと、ワンちゃんに向けて書かれた立て札の慎ましさとには、何か通じるものが感じられました。困っていることを直接、あからさまに伝えるのではなく、犬に語りかけることで伝えようとする姿勢には、飼い主への気遣いが感じられます。犬の視点に立っている、ということもいいですね。
僕は犬を飼っていないので、その立て札の対象外なわけですが、これを読んで、その品のよさに幸せな気持ちになりました。「怨(うら)みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」逆に優しく気遣うことによって、その穏やかな気持ちは回りに伝わり、人々を幸せにしていきます。またそうやって優しい気持ちになった人にも、回りに対して気遣い優しくなれる種を蒔いたことになるのです。こうして、その人は自らにも他の人にも徳を積ませたことになるのでしょう。
直接的に言うと角が立つことが多いですので、「慎ましやかな豪邸」の住人は、飼い主ではなく、犬に呼びかけることによって、無益な近所どうしの衝突を回避しているのでしょうね。私たちの生活において、立ち止まって冷静に考えてみますと、怒るほどのことでないことで気持ちが揺いでいることが間々あります。些細なことで動ぜず、穏やかな気持ちで日々を送りたいものです。
by ishid K. (2005-11-14 19:03)