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餓鬼道の生涯 [雑感]

 久しぶりの更新である。久しぶりに書かなければならないことが出てきた。以前の記事に白い大きな猫がお腹を見せて寝ている写真を掲載したことがある。僕たち(夫婦)は彼に「餓鬼道」という名前を付けた。この不名誉な呼び名は余り評判はよくなかったが、僕たちが彼に出会ったときに感銘を受けたその行動に由来していた。

 餓鬼道は、四つ辻に陣取っては、ご飯をくれそうな人、かつてご飯を恵んでくれた人の足下に駆け寄っては、ご飯が出てくるまで大声で空腹を訴え続け、しばらく後を追ってきた。今回はダメだと分かるとまた四つ辻に戻って次の慈悲深い人を待ち受けては、ご飯をねだる、そういう猫であった。

 その四つ辻は、18年連れ添った老猫るりの散歩の通り道でもあったので、毎晩、るりと餓鬼道はお互い警戒しながら、るりは遠回りをして通り過ぎていた。るりは急激な老衰の末、お正月すぎに亡くなった。猫を亡くした僕は、しばらくしてその餓鬼道をご飯で手なずけ、少しずつ自分たちの家の前までおびき寄せ、そして、門の中に入れ、最後には玄関の中でご飯を食べさせることに成功した。少しずつ警戒心を解いていき、かわいがってあげるよ、という僕の思いを伝えていったのだ。

 とうとう家猫になり、うちで寝て、うちで一日四食を食べ、トイレと見回りに行くという日々だった。出会ったときから既に成猫だったので、歳ははっきりしたことは分からなかった。しかし、1年もすると、単に家で食べて太っただけではなく、外に出て見回りをしている時間が増えてきた。さらに頻繁にあちこちでケンカをする声がするようになった。

 掲載している写真の下腹部の毛が薄くなっている。これはここを猫キックで蹴られて大けがをした跡なのである。その後もここは何度も蹴られ、そしてほとんど毛が生えなくなった。それだけではなく、喉に大けがをして返ってきたこともある。縄張りを主張する本能は旺盛なのに、それを守る強さはなく、いつも負けて大けがをして帰ってきていた。

 問題は、そうやって大けがをしているのでお医者さんに連れて行こうとすると、ものすごく抵抗をした。キャリーに入れるのに手をひっかかれ、お医者さんでキャリーから出そうとして、入り口を逆さにしても踏ん張って下りてこない、無理矢理引き出そうとする先生の手も傷だらけ、その上、失禁をしてしまい、診察台の上はびしょびしょ、大きすぎるので拘束着に着替えさせることもできない、二人がかりでの治療だけれども、すぐにかみつくのでほとんど治療にならない、という状態だった。

 二度とその病院に連れて行くことはできなかった。

 僕たちの失敗は、去勢をしなかったことだった。餓鬼道は雄猫の本能のまま縄張りを主張し、女性を求め(もう去勢されていない雌猫はいないのに。)、ケンカをし、そして当然のことながらエイズに感染し、治療を拒否し、そして、段々と痩せていった。まだうちにきて3年だというのに。

 特に去年の暮れからは、あの写真の猫とは同一と思えないくらい痩せてきた。がりがりだった。段々と食事も食べられなくなっていった。口内炎が酷いのでお腹は空くが、口に合うものがなかなかないのだ。僕たちは、何種類もの猫缶を買っては、試してみた。あるとき食べられてもすぐに食べなくなった。出したのに半日たっても食べない日々が続いた。それでもお腹がすくので、ご飯の場所にはやってきた。しばらくうつらうつらするように座っていたが、また寝床に戻っていった。

 そのうちに、外にトイレに行くこともしなくなった。部屋の隅とか、書類の上とか、座布団の上とかで、隠れてするようになった。外出から帰ったら、まずはどこかに粗相していないかを確認しなくてはならなかった。そこで、室内用のトイレを置いて、そこに猫のトイレ用の木くずを入れて置いたら、餓鬼道はフラフラしながらそこに行って、細くなった足で踏ん張りながらトイレをするようになった。

 教えたわけではないのだが、もともと飼われていた家でトイレのしつけがしてあったのに違いない。その家からも、たぶん別の猫との争いに敗れて出てきてしまったのかもしれなかった。

 体中の毛は一度も毛繕いしないためによれよれになっていた。そして体自体は骨と皮ばかりになっていた。以前にるりのときに貰ったステロイドが残っていたので、それを飲ませることに成功することもあった。そうすると少し楽になるらしく、外に出たがった。しかし、猫は死に場所を求めて彷徨うことが多いので、できるだけ外には出さないようにしていた。そのころには、トイレまで行き着くことが出来ず、その場で粗相するようなことが多かった。

 それでも、ある晩、薬のせいかやっと立ち上がりフラフラとドアのところまで行って、こちらを向いて、出して欲しいと弱々しく声の出ない声で鳴いたので、そのときはドアを開けて上げた。そして、それが餓鬼道を見た最後だった。

 薬のおかけで体調が少しよくなったので、他に、お世話になっていた家にでも行ったのかもしれないと思って待っていたが、いつまでも餓鬼道は帰ってこなかった。いつ帰ってきてもいいように、そのガラス戸はずっと開けたままにしておいた。1月の寒いさなかだった。餓鬼道はついに帰ってこなかった。どこかで亡くなっていたら、うちが飼っていることは近所の人も知っているだろうから、通報があるだろうと思っていた。

 二、三日は、近所を探して回りもした。でもいなかった。

 そうして夏になった。僕は庭仕事が苦手なので、雑草の生い茂った庭を植木屋さんに任せてきれいにしてもらうことにしている。そうして昨日から来てくれた植木屋さんが、門から入った玄関の隣の草むらの中からミイラ化した餓鬼道を発見したと妻から連絡があった。もう半年経っていた。皮と骨ばかりになっていたせいか、餓鬼道はその姿を留めていたそうだ。持ち上げたら軽かったそうである。

 妻はその場所に穴を掘って、餓鬼道の寝ていたタオルケットに包んで埋葬した。そして夜に僕が帰ってきてから二人でお線香を上げ、お経を上げた。

 あれほど可愛がって、何でもしてあげたのに、よかれと思うことをしてあげたのに、その思いは餓鬼道には届かなかった。餓鬼道は自分の本能の赴くままを行き、短い生涯を終えた。るりは18年一緒に過ごしたのに、餓鬼道は3年で子供から大人になって、そして自らを傷つけるような生き方をして、エイズになり痩せこけて亡くなってしまった。悲しい以上に、僕には腹立たしい思いが残ってしまう。なぜ、そんな馬鹿な生き方をしたのか、そうしなくてもよかったはずなのに。

 もちろん、そのために僕たちはもっと早くに虚勢をするべきだったのだ。あるいは、自分の好きに生きられたのだから本望だったという意見もあるだろう。でも僕は、やはりもっと長生きして欲しかったし、もっと心を開いても欲しかった。それだけのことをしてあげたのだから。

 妻は、夜にときどき外で「にゃ」という猫の声を聞いていたそうである。そこで亡くなった餓鬼道が早く自分を発見してくれと訴えていたかもしれなかった。
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