SSブログ

チベット仏教研究の可能性を探る [チベット]

 久しぶりの更新です。宣伝したいことが出てきました。

 9月8日・9日と大谷大学で印度学仏教学会第60回学術大会が開かれます。その中でチベット関係のパネルをやります。題して「チベット仏教研究の可能性を探る」です。時間は、9日13時30分〜16時、大谷大学の1号館2階1204番教室です。同時にもっと人気のありそうなパネル(梵文写本研究の現状と課題)がありますので、チベット仏教研究に関心のある人にできるだけ来て欲しいと思います。

 以下、パネルを申し込んだときの「発表内容、企画の要約と意義」を転載します(手抜きですみません。別に特設サイトを作成しました。詳細はそちらをご覧下さい。)

 最近のチベット仏教研究は、大きく様変わりをしてきた。チベット人僧侶の海外における布教、チベット仏教文献の大量の出版、インド仏教研究の延長ではないチベット仏教プロパーの研究の進展など、1980年代までの研究とは全く別物と言ってもいいほどである。

 しかし、次々に刊行される膨大な文献に比して、チベット仏教研究の成果は必ずしも豊富とは言えない。まだまだ未開拓の分野、領域、テーマばかりが山積みである。膨大なチベット仏教文献の大分部には手も付けられていない。なぜ研究の裾野が広がらないかを考えるとき、そこにチベット仏教研究の方法論的な難しさが浮かび上がってくるように思われる。

 現在、日本で活発にチベット仏教を研究している、あるいは研究することが期待されている先生方に、それぞれの研究の方法論、スタンス、そして今後のチベット仏教研究を志す若い研究者への提言などを報告いただき、それに基づいて、方法論的な問題についての意見交換および議論をしていただき、今後、チベット仏教研究をどのように進めていったらいいのか、その可能性を様々な角度から検討したいと思う。

 特に、世界のチベット仏教研究の動向に比して、日本における研究者の層は薄いとも思われる。なぜ、日本のチベット研究が盛んにならないのか、そしてどうしたらいいのか、その原因と解決策についても探りたい。



パネリストと、その発表タイトルは次の通り。

(1) 福田洋一「チベット仏教のためにできること」
(2) 根本裕史「ツォンカパ研究の方法論的展望」
(3) 吉水千鶴子「新出カダム派文献研究とチベット仏教思想史の再構築」
(4) 安田章紀「ニンマ派研究の現状と展望」
(5) 平岡宏一「チベット密教研究に関する方法論:ゲルク派ギュメ密教学堂での伝統的教授法を通じて」

発表の後、パネリスト同士でディスカッションというか、いろいろと雑談をしたいと思っています。もちろん、聞きに来ている人も自由に発言してもらって構いません。

タイトルだけ見ると固そうですが、何人かのパネリストとお話しして、チベット研究はどうしていったらいいのか、個人的な経験をもとに、論文に書けないようなことをざっくばらんに話してもらおうと思います。
nice!(0)  コメント(2) 

nice! 0

コメント 2

野村正次郎

パネル面白そうですね。是非参加したいと思います。

「なぜ、日本のチベット研究が盛んにならないのか、そしてどうしたらいいのか、その原因と解決策についても探りたい」ですが原因としては、

●日本の仏教界がスポンサーになっている印度学仏教学ではチベット研究はインド>中国>日本+アルファという位置づけだから位置づけが極めて低い。

●その結果、チベット研究者は雇用の機会もないし、活躍の場所も全くないl。有名大学のチベット語の授業ですら、チベット語もしゃべれない人がついでに担当しているレベルではちゃんとチベット語ができるようになる(口語と文語と仏教用語のすべてをまんべんなく)人は育たない。

対策ですが、実現することが不可能だとおもいますが、それは目に見えていると思います。

●日本の仏教系の宗派大学はその宗派の僧侶を全員その大学の仏教学科で勉強しないと僧侶の資格を与えないことにする。

●そこで仏教を学ぶ人間にはサンスクリット語、チベット語、漢文は必須科目として、学力の向上をはかる。

●中国や日本仏教の研究者とインドとチベット仏教の研究者の数のバランスを均等にするようにする。(つまり中国や日本の仏教研究を減らす)

●仏教研究をしている大学では常に大学院生のうち1名以上のチベット研究者をおくべきよう学会などから要請する。

とこんな感じだと思いますが、やはりこの日本では無理だと思います。
by 野村正次郎 (2009-08-23 03:51) 

yfukuda

>>野村正次郎さん

ぜひ、参加して発言して下さい。
ただ、現状からかけ離れている理想は、後ろ向きになるだけなので、現実的な線で考えていただければと思います。

僕は大学の制度以上に、学生の気質の変化を感じています。たぶん、多くの先生が同じような感じをもっているのではないかと思いますし、これは何もチベット仏教に限らず、インド仏教についても同じように言えると思います。

その中で、インド仏教よりもチベット仏教が難しい点は何か、しかし、チベット仏教を研究した方がいい利点は何か、そういうことを考えてみたらどうかと思います。
by yfukuda (2009-08-25 02:35) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。