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パネル「討論 svabhāvapratibandha─ダルマキールティ論理学の根本問題」を終えて [仏教論理学]

 7月1日日本印度学仏教学会学術大会の2日目の午後、4つのパネルが企画されていた。僕はそのうち、唯一インド仏教関係のかなり学術的(ということはオタクな)パネルに参加した。タイトルが、どの一言をとっても関係者を惹き付けねばおかないような扇情的なタイトルである。

 討論 そもそも日本の学会で議論を戦わすことなどほとんどないのに?
 svabhāvapratibandha これについてはかつて多くの人が魅了されて、みな一言いいたいことがあるはず。
 ダルマキールティ インド仏教論理学最大の哲学者で、この人の影響のもとにインド仏教のみならずインド哲学諸派の認識論・論理学が大きく変容していった最重要人物
 その論理学の根本問題 「根本問題」?根本だといわれたら、それを聞かずに済ますことなどがどうしてできようか。

といった具合である。戦後の全世界の仏教論理学は、ウイーン大学のシュタインケルナー教授が牽引車となり、その元にほとんど全ての仏教論理学の研究者が集い、留学し、学会を催してきた。そのシュタインケルナー教授の主張の中から、svabhāvapratibandhaが最も重要な概念だと指摘し、人々の注目を集め、研究の火付け役になったのは駒澤大学の松本史朗さんである。同じ駒澤大学の金沢篤さんと僕とで30年前に読書会をしていたことは以前に記した。三人が発表した論文は、その後の論理学研究ではほとんど影響を与えることなく過去の古雑誌の中に埋没しかかっていた。

そしてシュタインケルナー教授とともに世界の論理学研究を牽引してきた、わが桂紹隆先生の最近の論考に対して、金沢さんが激烈な批判を投げかけ、一体この30年の歩みは何だったのかと問い質した。それに対して、当の桂先生が、その批判に答えようと、パネルに参加することを引き受けてくれた。

そんな経緯があったので、誰もがこの扇情的かつ本質的なタイトルと参加者に目を奪われ、会場を満員にしてのパネルとなったのである。

パネリストは、他に次の面々である。

1. svabhāvapratibandha 研究の見取り図 片岡 啓
2. svabhāvapratibandha とavinābhāvaniyama の関係をめぐって 石田 尚敬
3. 三度目のsvabhāvapratibandha  福田 洋一
4. svabhāvapratibandha とavinābhāva  金沢 篤
5. svabhāvapratibandha について、金沢批判に答える 桂 紹隆

150分休みなしのはずなのに、全く時間の経過を感じさせない密度の濃い、集中した議論が行われた。実際は少し超過したから160分と言っておこう。普通、これだけの長さがあったら中だるみがありそうなのに、人々の頭は一時も休むことなく動き続けた。

ほんとうは、何かのコンセンサスを作れたらいいねと金沢さんとは話をしていたが、それができたのか、できなかったのか、あるいはできる必要があったのか、その可能性さえあったのか、分からない。

おそらくそれぞれの主張は、そのときの議論を踏まえ、来年初め刊行予定の『インド論理学研究』に掲載されるはずである。僕自身の主張の一端は、前のブログに期間限定で掲載してあるし、僕の用意した配布資料(ほとんど読み原稿に近い。)はここに置いておくことにする。

このパネルの総括については、7月7日の駒澤大学で開催される「2012年度第1回インド論理学研究会」にて話をすることになっている。関心のある方は聞きにきていただければと思う。
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