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ダライラマ法王とチベット研究者の茶話会 [チベット]

 11月19日、ダライラマ法王とチベット研究者の茶話会が開かれた。50名という限られた人数のため、一般公開されたものではなかった。口コミで声をかけたが、測ったように50名が集まり、用意された席がちょうど一杯になった。

 法王は、午前中は増上寺での法要があり、午後には突然謁見の予定も入って、茶話会の部屋にいらっしゃったのは、予定よりも30分遅れであった。最初に法王から簡単なスピーチをいただいた後は、研究者との質疑応答に移った。予定では1時間ということであったが、終わってみれば、1時間30分以上、質疑応答をしていただいた。そのあとは法王を囲んで集合写真を撮影し会は4時すぎに終了した。

 茶話会そのものの報告は「白雪姫と7人の小坊主たち」でアップされるので、そちらを見ていただくこととして、僕がお聞きしたことについてここで報告と解説をしておこう。

 法王には、ツォンカパの中観思想における rang gi mtshan nyid kyis grub pa という概念の意味をお聞きしたいと思っていた。研究者との質疑応答であるので、時間の節約のため英語は通訳なしになりそうということだったので、僕は予め英語で三つの質問を用意していった。

 ツォンカパの最終的な立場である中観帰謬論証派の説では、世俗においても、rang gi mtshan nyid kyis grub pa なものは存在しない。それに対して、中観自立論証派は、勝義においては rang gi mtshan nyid kyis grub pa なものは存在しないが、世俗においては存在すると主張する。それ以外の学派は、勝義においてもそれがあると主張する。それゆえ、この rang gi mtshan nyid kyis grub pa なものの存在を、世俗においても勝義においても否定することが、中観帰謬論証派を他の流派から区別する根本的な相違点の一つということになる。

 そもそもこの概念の意味が問題なので、ここでそれを日本語に訳すわけにはいかないが、ひとまず直訳するならば、「自らの特質によって成立しているもの」と訳すことができる。ただし、これは僕の解釈に基づく訳であって、一般には「自相によって成立しているもの」あるいは「自相として成立しているもの」さらには「本質的に実在しているもの」という意訳や「自相成立」という省略した訳も行われている。

 まず、rang gi mtshan nyid を「自相」と訳すことには問題がある。なぜならば、「自相」という訳語は、論理学で直接知覚の対象を意味する svalakṣaṇa の訳語として用いられ、これはチベット語で rang mtshan という省略された訳語が当てられる。ツォンカパ自身は、rang gi mtshan nyid が、論理学で言う rang mtshan「自相」とは別の意味であると断っている。論理学で言う「自相」の定義については議論すべきことが多いが、少なくともツォンカパは、それを「結果を生み出す能力」と説明していた。とするならば、論理学で言う「自相」と異なる rang gi mtshan nyid とはいかなるものか。また、rang gi mtshan nyid kyis という具格の意味は何か。一方、ツォンカパも後代のゲルク派の学僧も、rang msthan du grub pa という、処格を用いた言い方もしているが、それは同じ意味なのか。こう言った問題に対して、僕自身は一定の解釈を持っている。それが妥当であるかどうかを法王にお聞きしたかったのである。

 僕は次のような三つの質問を用意した。

1. rang gi mtshan nyid というときの mtshan nyid の意味は何でしょうか。私はこれは rgyu mtshan「理由、根拠」の意味ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

2. rang gi mtshan nyid kyis の kyis という具格助詞の意味は何でしょうか。具格助詞としては「〜によって」という意味と「〜として」という二つの意味が考えられますが、私はこれを「〜によって la brten nas」という意味ではないかと思います。いかがでしょうか。

3. ツォンカパは時々、rang mtshan du grub pa というように、具格ではなく du という処格助詞を使った表現を用いることがありますが、これは rang gi mtshan nyid kyis grub pa と同じ意味だと考えていいのでしょうか。もしそうならば、du という処格助詞の意味は「〜として」ではなく、「〜において、〜を基盤として」というような意味になると考えられないでしょうか。

 さて、僕の質問は英語だったが、それに対して法王はチベット語でお答えになった。内容上チベット語の方が正確に話せるからである。以下、その内容を聞き取れた範囲で報告しよう。(仏教用語の方ははっきりと聞こえたのでいいが、文末の語尾の方は声が小さくなり聞き取れないことが多かったので、その辺りは不正確である。)

mtshan nyid、rang gi mtshan nyid、rang bzhin、rang gi ngo bo は同じ意味である。だから、rang gi mtshan nyid kyis grub pa は rang gi ngo bos grub pa とも言われる。あるいは、rang gi mtshan nyid kyis grub pa と ngo bo nyid kyis grub pa も同じ意味になる。

量子力学の分野で物質の ngo bo nyid を求めて物質を細かく分解していくと微細な微粒子になり、さらにそれを分解していくと極めて微細な素粒子のようなものになるが、そこにその物質の ngo bo nyid を探しても、どこにも見つけることができない。それゆえ、物質には ngo bo nyid がないということが分かる。

このように対象(yul)は、ngo bo nyid kyis grub pa ではないけれども、しかし存在していない(med pa )のかと言うと、存在していないと言うことはできない。存在しないと言えば、ニヒリズムに陥ってしまう。それならば、ngo bo nyid kyis ma grub pa である対象は、どのようにあるのかと言えば、bsten nas btags pa であると言われる。

仏教では、対象は、yul gyi ngos nas grub pa ではない、つまり rang gi mtshan nyid kyis grub pa ではないけれども、存在しないわけではない。それならばどうかと言えば、brten nas btags pa であると言う。つまり、yul gi ngos nas ma grub であり、brten nas btags tu grub pa であると言われるのである。言い換えれば、対象は brten nas btags tu grub pa であるから、ngo bo nyis kyis grub pa ではなく、rang mtshan gyis grub pa ではないのである。

ブッダパーリタは、「ngo bo nyid kyis grub pa であるならば、brten nas btags pa ではない。」とおっしゃっている。(逆にすれば、brten nas btags pa であるが故に、ngo bo nyid kyis ma grub pa だということであろう。ただし、この通りの言葉はブッダパーリタのテキストには見つからない。)

 僕の質問の意図は必ずしも正確に法王に伝わったわけではなかったし、また法王のお答えは、法王がしばしば話される、全てのものは無自性でありながら、依って施設されただけの存在であるという、言わば、ものごとの正しいあり方を説明することに重点が置かれていたとも言える。僕の質問は、この最初の一つだけで時間をとってしまったので、2番目と3番目の質問はしないことにした。

 また、この、同じような概念が繰り返し述べられているようなお話の中からも、僕のお聞きしたかった内容の大部分を読み取ることができたように思われて、他の質問を取り下げたのでもある。

 以下、法王の言葉を僕なりに解釈し、かつコンテキストを含めて解説してみよう。

  ・rang gi mtshan nyid kyis grub pa
  ・rang bzhin gyis grub pa
  ・rang gi ngo bos grub pa

この三つの表現が同じ意味であることは、ツォンカパ自身が明言している。法王はさらに

  ・ngo bo nyid kyis grub pa

も同じ意味であるとつけ加えられた。ツォンカパは、上の三つと並べてはいないが、この表現も別の箇所で用いているし、内容上も同義であることは明らかである。

 これらの表現に共通なのは、「A-具格助詞 grub pa 」という形であり、これらが同じ意味であると言うことは、このAに当たるものが同じ意味であることを示している。僕のもともとの質問はmtshan nyid だけの意味をお伺いするものであったが、法王はそれはすぐに rang gi mtshan nyid と言い換えられて、それらが rang bzhin や rang gi ngo bo、ngo bo nyid と同じ意味のものだとお答えになっている。

 これらは探し求めても見つからないので、否定されるべきものである。それに対比されるのが brten nas btags pa、あるいは brten nas btags tu grub pa である。この後者の言い方は、目にしたことはないが、A-kyis grub pa と対応させて考えれば納得のいく表現である。

 注意しなければならないのは、ここで否定されたり肯定されたりしているのは、みな述語であるということである。すなわち、これらには常に主語が想定される。法王は、yul、すなわち「対象(古い漢訳では対境)」を主語として言及される。確かに対象に違いはないが、対象一般というわけではなく、むしろ brten nas btags pa の意味を加味して考えて、「名前で区別されているところの各々のもの」と考えた方が分かりやすい。

 要するに、我々にとって名付けられている各々のものが、果たして、rang gi ngo bos grub pa なものなのか、それとも brten nas btags tu grub pa なものなのかが問われているのである。その名付けられものの rang gi ngo bo (= rang gi mtshan nyid, rang bzhin) を探し求めてもどこにも特定できるものが見つからないので、それらは rang gi ngo bos grub pa なものではないことになるのである。

 この rang gi mtshan nyid kyis grub pa あるいは rang gi ngo bos grub pa を、法王は「対象の方から成立している(yul gi ngos nas grub pa)」と言い換えられた。「対象の方(あるいは対象の側)から成立している」とは、brten nas btags tu grub pa と対比して考えれば、要するに、その対象がそれとして成立するための起源が、対象自身の方にあるのか、それとも我々の分別知による施設の働きにあるのかという違いである。

 僕はそういう意味での mtshan nyid を、対象をその対象たらしめている根拠(rgyu mtshan)と考えていたのだが、法王はその「根拠」という言い方に同意はされなかった。「根拠」というよりも、そのものをそのものたらしめている本性・本質のことだとお考えだったのではないかと思う。ただし安易に「本質」と訳して済ませられるものではない。なぜならば、日本語の「本質」の意味自体が曖昧だからである。それは、その対象がそのようなものとして成立するのが対象自身の方でのことなのか、それともわれわれの意識によって名付けられてのことであるかの違いを前提として、前者を「本質」とでも言うしかないということなのである。

 さて、brten nas btags pa「依って施設されたもの」という場合、「何に」依って施設されたのかは明言されていないが、これを、物事は全て原因に依存して存在しているのであって、独立自存の存在ではない、という意味に理解してはならない。rang gi ngo bos grub pa は、他のものに依らずに存在している(成立している)という意味ではない。施設されるのは、そのもの以外の原因に依って成立しているからではないのである。そのものがそのものであることが、様々な因果関係や諸条件の中で、それを把握するものの意識によってそのように考えられ、名付けられているだけのものであるだということである。rang gi ngo bos grub pa なものであっても、他の原因によって生起するものであることには変わりはない。他の原因に依って生起したから施設され名付けられたわけでもない。

 たとえば、この目の前にある机が「机としてあること」が、その机自身の本質によって成立しているというのが rang gi ngo bos grub pa、rang gi mtshan nyid kyis grub pa の意味であるのに対し、様々な因果関係や効用、諸条件、諸状況の中でそれをわれわれが「机」と見なし、また「机」と呼んでいるにすぎない、というのが brten nas btags tu grub pa の意味である。いずれの場合も、その机が、材木やのこぎり、制作者などの諸原因によって生じたもの(すなわち縁起したもの)であることに違いはない。

 これはたとえば ngo bo nyid や rang gi ngo bo を「本質」という日本語に置き換えだだけで理解できることではない。チベット語で議論し、しかもテキストについての読解を前提として初めて分かることである。僕の質問は、このようなオタクな内容だったので(もちろん、ツォンカパの中観思想の根本的な理解に関わることであるので、重要なことであると僕は思うが)、他の方々には(特に通訳を通じてでは)十分に理解されないことであったに違いない。

 もう一つ、別の方の質問に対する法王のお答えの中で、目から鱗が落ちたお話があった。必ずしも質問者の意図に沿ったお答えではなかった(質問者がもっと一般的なことを聞いているのに対し、法王は仏教の理論的な視点からお話をされたので、話題が噛み合っていなかった。)が、その中で法王は、仏教の三つの基本テーマである gzhi、lam、'bras bu「土台、道、結果」に言及された。lamは「修行道」のことであり、その結果('bras bu)は基本的には修行の結果達成される境地、究極的には仏果のことであり、修行をして結果を得るための基礎になる存在論がgzhi「土台」である。この「土台」の説明には、仏教の認識論的、存在論的諸概念が取り上げられるが、そこに必ず二諦(勝義諦と世俗諦)の設定も説明される。僕は単にそういうものだ、と思っていたのだが、法王の説明はそうではなかった。

 「結果」としての仏果とは仏の身体を得ることであり、この仏の身体には法身と色身という二つがある。法身とは悟りの智慧とその対象である空性そのものを指し、色身とは衆生を済度するための色形あるお体である。そのような「結果」を得るための修行道である「道」には、法身を実現するための智慧の修行と、色身を実現するための方便あるいは福徳を貯めていく修行がある。そして、その「土台」すなわち基盤となる物事のあり方は、智慧の対象である「勝義諦」と方便を駆使するための土台になる「世俗諦」という二諦にまとめられる。このように土台、道、結果という三つのテーマは、それぞれ勝義諦→智慧→法身という系列と世俗諦→方便(福徳)→色身という二つの系列からなっている。

 これまで僕は、相互の関連など考えずに、単に土台と道と結果という三つの観点から仏教の理論体系が説明されていると考えていたのであったが、この三つの観点が有機的に関係し、大乗仏教の根本的な二つの系列を述べていることに、初めて気付いたのであった。言われてみればそれは当然な上にも当然のことである。しかし、おそらくそのことに感じ入ったのは、その場にいる人たちの中で僕だけだったのではないかと思う(そんなことは言われるまでも知っている、という人もいたかもしれないが)。

 釈尊は、同じ一つの言語で説法されるが、それは聞く人によって別の言葉で聞こえると言う。今回の法王のお話も、そんな趣があったのかもしれない。
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アジャ・リンポチェ 大谷大学真宗総合研究所公開講演会 [チベット]

大谷大学真宗総合研究所では、現在、来日されているアジャ・リンポチェをお招
きし、6月18日(火)に公開講演会を開催いたします。

アキャ・リンポチェの転生系譜はツォンカパの父に始まり、ダライラマ5世のと
きに化身ラマ(転生僧)の認定を受け、現在のリンポチェはその第8世にあたり
ます。前々代の第6世アキャ・リンポチェは1901年に寺本婉雅の尽力によって、
日本初のチベット人高僧として来日し、東本願寺の後援のもと京都大学、東京大
学などで講演をしました。

アキャ・リンポチェは代々、青海のツォンカパの生地に建つ名刹クンブム寺の僧
院長を務めてきました。現第8世は、その任にあった1998年にアメリカへ亡命
し、現在はカリフォルニアのチベット・モンゴル仏教文化センターにおいて後進
の指導と世界各国への講演、モンゴルでの慈善活動などに従事されております。

アキャ・リンポチェは特に青海やモンゴルに大きな影響力のある化身ラマであ
り、蔵蒙漢の関係史に深く関わってきました。そこでこの機会に、下記のような
日程でリンポチェを招聘して公開講演会を開催し、アキャ・リンポチェの転生相
続の系譜についてお話を伺います。

公開講演会ですので、参加資格は特にありません。お近くの方は、お誘い合わせ
の上、おいで頂ければと思います。

日時:6月18日(火)16:20〜18:20
場所:大谷大学響流館3階 メディアホール(京都市営地下鉄烏丸線 北大路駅
下車1分)
演題: 「歴代アジャ・リンポチェの事績について」
会費:無料

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僕のただ一人の先生─ゲシェ・テンパゲルツェン─ [チベット]

 最近は聞かれることもなくなったが、以前はよく、先生は誰かと聞かれたものだ。もちろん学生であれば多くの先生の授業をとっているはずであるが、その質問の意図は、誰に付いて専門の勉強をしたのか、という意味である。学界では、どの先生に習ったかで、その人の学問の姿勢・内容がある程度決まってくるのである。そう聞かれたとき、僕は、チベットのゲシェ・テンパゲルツェン師だけがただ一人の先生だと答えてきた。指導教員という意味では、他にもお世話になった先生はいるが、僕が専門としているチベット仏教について教えを受けた先生は、ゲシェラ以外にはいないのである。

 そのゲシェラが8月12日に南インドのデプン寺近くのご自宅で逝去された。トゥクダムの期間(徐々に心が肉体を離れていく過程)も終わり、昨日荼毘に付されたと文殊師利大乗仏教会の野村君から連絡があった。ゲシェラを多くの日本人に紹介したのは、彼の功績である。ゲシェラが東洋文庫にいる頃には、ごく一部の研究者しかゲシェラを知らなかった。東洋文庫のチベット研究室でゲシェラのお世話をしていた僕には、当時のゲシェラの様子を書き留めておく責任がある。とはいえ、記憶は混乱し、時間的な順序(これはこちらを参照)を再現することはできないが、僕にとってゲシェラが唯一無二の先生であったことを、感謝の気持ちを込めて記しておきたい。

 ゲシェラは、大学院生の僕が東洋文庫にアルバイトに行ったときに、すでに最初の5年ほどの東洋文庫滞在を終えて、ゴマン学堂の僧院長に就任するために離日する直前であった。その後3年度ほどして、僧院長を辞められ、再度来日されて東洋文庫にいらっしゃったときから、親しく教えをお聞きすることができるようになった。ゲシェラは日本語もある程度おできになっていたので、研究室では、文語チベット語混じりの日本語でコミュニケーションをとっていた。

 僕はチベット研究室の専任研究員として、ゲシェラの招聘の手続きや外国人登録、下宿探しや納税の手続き、入管での滞在許可の更新、インド大使館での身分証明書の延長手続きなどのお手伝いはしたが、すでに日本生活に慣れていたゲシェラは、日常生活のほとんどを一人でされていた。後のゲシェラを知る人たちからしたら、信じられないような生活だった。北区西ヶ原にあった東京外大の近くの4畳半の古い木造アパートに住まわれ、毎日、東洋文庫まで30分ほどかけて歩いて通われた。後年の龍蔵院にいらっしゃる頃と違って、ゲシェラはこのとき、ずっと一人で暮らしておられたのである。

 東洋文庫では、僕が1時間程度テキストの解釈について質問をする以外は、黙々とテキストの作成や校正、目次作りをされていた。当時は、日本の仏教学におけるチベット仏教の知識は非常に限られたものであった。僕もチベット仏教を学ぶ機会はなく、ただ、インド仏教学の延長として、チベットの学僧の書いた文献(チベット撰述文献と呼ばれていた)を、分かるところだけ拾い読みしている程度であった。そもそも、チベット仏教の研究というものをどのようにしたらよいかの手本さえもなかった。ゲシェラに何を教えてもらえばいいかも全くの手探りで、チベット風にテキストの伝授を受けるなどということは、想像だにできなかった。僕は自分で読んでいるテキストの分からないところをゲシェラに質問して、ゲシェラはその質問に答えて説明をしてくれる、という具合であった。当時の僕は、論理学を専門としていたから、いきおい質問する内容も仏教論理学のテキストの解釈ということになったが、それも系統だって聞いていたわけではなかった。

 しかし、それだけだったら、ゲシェラが僕のただ一人の先生であったとは言えないだろう。インドの文献を継承するような注釈書や概説書は、インド仏教と同じように読んでいっても、徐々に理解できるようになる。しかし、まったく歯の立たない文献があった。『ドゥラ』と呼ばれる論理学の初等教科書である。何も難しい言葉が使われているわけではないが、ただ、字面を追っているだけでは論理の展開の意味が理解できなかった。また辞書に出てこない独特の表現が要処要処に用いられていた。注釈書などは、説明として書かれた文献であるが、『ドゥラ』は先生が説明するための実例集なので、口頭での説明がないと意味が理解できなかったのである。

 少しずつチベット仏教の文献に親しみ、チベット仏教に関する知識が増えてくると、この『ドゥラ』が若い出家者が最初に徹底して身に付けなければならない技術と知識であることが分かってきた。さらに、それ以外の文献の中にも、この『ドゥラ』で使われた概念や論理が前提となっていることも分かってきた。

 それを僕は毎日ゲシェラに少しずつ教えてもらった。使ったのは、ジャムヤンシェーパの弟子のセ・ガワンタシという方の書いた『セ・ドゥラ』というテキストであった。といっても伝統的な教授法ではなく、あくまで分からない箇所の意味をお聞きするということだった。二人はまず一文くらいずつ声をそろえて読み、その内容について、僕がこういうことでしょうか、この意味はわかりません、などと質問する。それに対してゲシェラが説明をしてくれるというやり方だった。

 実際には、テキストの後の方があまりにも難しくて最後まで読み通すことはできなかったが、それでも、他の文献にも利用されるチベット論理学固有の表現形式や議論の運び方については、ほぼカバーできる程度の勉強はできた。

 『ドゥラ』に用いられるような技法は、さまざまなチベット仏教文献に利用されている。後代の文献になればなるほど、あるいは教科書のような著作になればなるほど、その割合は増える。たまたま手に取ったインド仏教の延長のような註釈書だけではなく、チベット仏教固有の議論を理解していくためには、これらの知識は必須であるが、それはテキストを読んだり辞書を調べたりしても、決して学ぶことのできないものである。まさに「口伝」が必要になる。僕はそれをゲシェラに教えて頂くことで、チベット人の書いたものを読み解くために欠くことのできない知識を手に入れられたのである。

 東洋文庫に勤め始めた30年近く前から、大学院生の希望者にチベット語文献の講読をしてきたが、数年に一度、熱心な学生がいるときに『ドゥラ』を教えた。ゲシェラの教えて頂いたことを自分なりに消化しアレンジし、日本語の訳し方と説明の仕方も工夫を重ねてきた。『ドゥラ』を教えた学生(早稲田大学の大学院生だった龍蔵院の野村君もその一人である。)は今でも何らかの形でチベット仏教と関わりを持っている。よくよく考えてみれば、僕の手解きした学生の中でチベット仏教を研究するようになったのは、それらドゥラを教えた学生ばかりである。やはり『ドゥラ』はチベット仏教の最初の入り口に違いないのである。

 僕の伝えたかったことが全部伝わっているかどうかは分からないし、またゲシェラが教えて下さったことを僕が誤解したり、聞き漏らしている部分もあるかもしれない。しかし、ゲシェラに教えていただいたこと、ゲシェラに教えて頂かなければ決して分からなかったことを、日本の中で伝えられたことで、ほんの小さい範囲ではあるが、伝統を受け継ぎ、それを次の世代に伝えられたという秘かな満足感を感じてはいる。

 僕が教えて頂いていた頃のゲシェラは、今の僕と同じくらいの歳であった。まだ疲れも知らずに、僕の質問に、いつでも「どうぞ、どうぞ」と言って快く答えて下さった。むしろ、僕の方がお聞きするのに疲れてしまって、「もう少し自分で考えてみます」と言って引き下がるほどであった。その頃に、今の僕ほどのチベット仏教の知識と理解があれば、もっと多くのことをお聞きすることが出来ただろうと残念に思いもするが、しかし、時間を逆に戻せない以上、それが僕の、そしてその時代の限界であったと思い直してみる。

 ゲシェラが逝去され、かつての東洋文庫でゲシェラに習っていた頃を思いだし、最近ゲシェラを知るようになった人には思いもつかない質素で、孤独な東洋文庫でのゲシェラの姿を、そっとここに書き記しておく。僕にとってただ一人先生と呼べる方であったテンパゲルツェン先生のご冥福を祈りたい。
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チベット仏教研究のススメ公開 [チベット]

 2012年2月17日、駒澤大学大学院仏教学研究会の公開講演会で「チベット仏教研究のススメ」という、やや軽薄なタイトルで講演をしたことは、既に記した通りである。

 それを研究会の大学院生が文字に起こしてくれ、それに多少手を加えたものが、このほど『駒澤大学大学院仏教学研究会年報』第45号に掲載された。話した内容を文字にしたのはこれが初めてだったが、しかし、文字にしてみると、文法は乱れ、話は脱線し、前後照応せず、ところによっては意味不明な表現になったりと、口頭だから勢いで分かってしまうよ、と言うわけにもいかない代物だった。

 3校くらいまで大幅に赤字を入れることになり、編集の大学院生たちには申し訳ないことをした。それも、あまり直してしまうと、講演を記録したものにならないので、ある程度は、その場の乗りで話したことと諦め、何だか曖昧な部分も残されている。

 しかも、タイトルが軽薄であるのに、内容はチベット語文献を読んだことのあるのを前提とするようなオタクな話であった。これもまた、会員諸氏には申し訳ないことをしたと思う。

 ただ、チベット仏教研究がインド仏教研究にこのように貢献できます、という点は、ある程度伝わったらしいことを、後で駒澤の先生から伺った。

 せっかく、チベット仏教研究を勧める内容なので、より多くの方に読んでほしいと思い、これもまた無断で公開する。問題がありましたから、ご一報下さい。>関係者各位
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チベット文献資料の歴史 [チベット]

 昨年度末に、大谷大学の図書館の情報誌『書香』29号に、大学所蔵のチベット語文献PDFについて短い紹介記事を書いた。

 チベット語を読める人のために書いたものではあるが、読めなくてもチベット仏教に関心のある方にも、アメリカのチベット学者たちが、チベット語文献の普及にどのような貢献をしてきたか、その情熱の一端に触れられるのではないかと思う。

 これも公開していいかどうかは分からないが、公開したとしても、あまりアクセスする人はいないであろうから、秘かにPDFを公開しておく。Dropboxの共有リンクなので、少々重いとは思うが、関心のある方をダウンロードして読んでみてほしい。
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svabhāvapratibandhaについての対話 [仏教論理学]

svabhāvapratibandhaについて、「それは方向性の問題でしょ。それならコンセンサスは形成されたのではないですか」という意見をよく聞く。確かに「コンセンサス」という意味では、多くの人の意識に焼き付いたかも知れない。しかし、僕が言いたいことはそんなことではなかった。そして、ふたたびそれは理解されることはないような気がしてきた。多くの人たちが「方向性」という方向に流れていき、その言葉にダルマキールティが込めたと思われるニュアンスは失われていくと僕には思える。

次のような質問があった。

福田先生がpratibandhaを「従属している」「依存している」と訳したほうが良いと主張なさるのは妥当だと思いますが、その訳語を用いることによってダルマキールティの文章を読んだ時のメリットと、「結合している」「結び付いている」という訳語を用いた時のデメリットが知りたいです。(sādhya)-loc. (sādhana)-gen. pratibandhaという構文から、論理的指示関係を導き出すことができるのなら、どちらの訳語を用いても構わないのではないでしょうか。

pratibandhaを「結合関係」と訳した時、ダルマキールティの文章を理解する際にどのような不都合が起きるでしょうか。論理的指示関係があることはすでに学界でも認められてきたようですが、その論理的指示関係を念頭に置きながら「結合関係」と訳すのはナンセンスですか?

倶舎論で「結合関係」というふうに訳すとまずいのは分かりますが、それは倶舎論での話で、まさに先生も仰ったように、ダルマキールティは従来のpratibandhaの理解から離れて新たな意味でpratibandhaということばを使っているのですから、倶舎論での不都合は理由にならないと思います。

以下は僕の回答の一部である。

僕の理解は、シチェルパツキーのようにexistentially dependent on ということです。これを見たとき、実にすばらしい訳だと思いました。みんなが結合関係と訳すずっと前の訳です。svabhāvaは、「実存existence」だと以前に言ったことを覚えていますか。論証因の実存が所証に依存しているのです。ですから、単に結合したり関係したりしているわけではありません。つまり結果の存立が原因に依存し従属しているということです。ですから原因を無くせば結果は存立し得ません。その感じを「結合関係」という言葉で表現できますか。

論理的指示関係という言葉さえ誰も使っていません。僕一人が使っています。そのsvabhavapratibandhaはその論理的指示関係の根拠になるものです。論理的指示関係は後から出てくるものですし、それを最初からsvabhāvapratibandhaに読み込んではいけません。svabhāvapratibandhaだけで、ある「関係」を表現しています。それが、その存立が他のものに「決定的に従属し依存している」ことです。ダルマキールティは論理的な関係の意味でpraitbandhaを使用したのではありません。その「決定的に従属し依存している」ということを術語化しただけです。

svabhāvaについて、それを「実存」などというのは、もっと理解力を要する話だと思います。多くの人は理解しないでしょう。あれだけ言っても、praitbandhaについて「方向性」のことだと言っているくらいです。方向性なんて、当たり前のことで、だからみんなは簡単に同意をするのです。問題は、方向性ではなく、そのものが存在するために他のものに依拠しなければならない、ということなのです。

質問者の言及の中で、「ダルマキールティは従来のpratibandhaの理解から離れて新たな意味でpratibandhaということばを使っているのですから」とあったが、これは僕がインド論理学研究会(7月7日・駒澤大学)で話した内容に基づいている。

『倶舎論』や『翻訳名義大集』では、pratibandhaは「妨げるもの」という意味でしか使われない。それに対してpratibaddhaは「依存する、従属する」という意味が第一義である。これは両書のチベット語訳がともにそうなっていて、さらに『倶舎論』の漢訳も同様である。

ところで、ダルマキールティの用例から svabhāva-pratibandha = pratibaddha-svabhāvatva という等式が導き出せる。すなわち、pratibandha とは pratibaddhatva である。pratibandhaには、論理的指示関係の基盤になるような意味はない。しかし、pratibaddhaならば、A-pratibaddhaで、Aに依存する・従属するという意味になり、Aに従属・依存しているものは、そのA無くして存在し得ないことになる。言い換えれば、それが存立するためにはAの存在を必ず要請する。したがって、Aを推知させることができる。

ダルマキールティが、このような意味のpratibaddhasvabhāvatvaをsvabhāvapratibandhaと術語化したとき、当時の人々は、「svabhāvaを妨げるもの」という意味を頭に思い浮かべ驚いたのではないだろうか。もちろん、それでは意味は通じない。そこでpratibaddhasvabhāvatvaの意味であると知って、「そのsvabhāvaがpratibaddhaしているもののみが所証を理解させる」すなわち、その存在が他のものに決定的に従属しているもののみが、それが存在することによって他のものの存在を確実に推知させることができる、という意味でsvabhāvaがpratibandhaしている、という新たな「意味」が、インド哲学の世界に創出されたのであろう。それ以降は、人々は、現代の研究者に到るまで、pratibandhaを「妨げるもの」という意味ではなく「結合関係」の一種と考えるようになってしまったのである。しかし、もともとダルマキールティは「結合関係」の一種としてこの語を用いたのではなく、そのものが存立するためには、他のものの存在を必要不可欠なものとして要請するといういみで、他のものの存在に決定的に依拠し従属していることを、論理的指示関係の基礎に据えたのである。

というようなことを発表はしたが、人々の頭の上を通り過ぎる無常な風になってしまったようである。
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パネル「討論 svabhāvapratibandha─ダルマキールティ論理学の根本問題」を終えて [仏教論理学]

 7月1日日本印度学仏教学会学術大会の2日目の午後、4つのパネルが企画されていた。僕はそのうち、唯一インド仏教関係のかなり学術的(ということはオタクな)パネルに参加した。タイトルが、どの一言をとっても関係者を惹き付けねばおかないような扇情的なタイトルである。

 討論 そもそも日本の学会で議論を戦わすことなどほとんどないのに?
 svabhāvapratibandha これについてはかつて多くの人が魅了されて、みな一言いいたいことがあるはず。
 ダルマキールティ インド仏教論理学最大の哲学者で、この人の影響のもとにインド仏教のみならずインド哲学諸派の認識論・論理学が大きく変容していった最重要人物
 その論理学の根本問題 「根本問題」?根本だといわれたら、それを聞かずに済ますことなどがどうしてできようか。

といった具合である。戦後の全世界の仏教論理学は、ウイーン大学のシュタインケルナー教授が牽引車となり、その元にほとんど全ての仏教論理学の研究者が集い、留学し、学会を催してきた。そのシュタインケルナー教授の主張の中から、svabhāvapratibandhaが最も重要な概念だと指摘し、人々の注目を集め、研究の火付け役になったのは駒澤大学の松本史朗さんである。同じ駒澤大学の金沢篤さんと僕とで30年前に読書会をしていたことは以前に記した。三人が発表した論文は、その後の論理学研究ではほとんど影響を与えることなく過去の古雑誌の中に埋没しかかっていた。

そしてシュタインケルナー教授とともに世界の論理学研究を牽引してきた、わが桂紹隆先生の最近の論考に対して、金沢さんが激烈な批判を投げかけ、一体この30年の歩みは何だったのかと問い質した。それに対して、当の桂先生が、その批判に答えようと、パネルに参加することを引き受けてくれた。

そんな経緯があったので、誰もがこの扇情的かつ本質的なタイトルと参加者に目を奪われ、会場を満員にしてのパネルとなったのである。

パネリストは、他に次の面々である。

1. svabhāvapratibandha 研究の見取り図 片岡 啓
2. svabhāvapratibandha とavinābhāvaniyama の関係をめぐって 石田 尚敬
3. 三度目のsvabhāvapratibandha  福田 洋一
4. svabhāvapratibandha とavinābhāva  金沢 篤
5. svabhāvapratibandha について、金沢批判に答える 桂 紹隆

150分休みなしのはずなのに、全く時間の経過を感じさせない密度の濃い、集中した議論が行われた。実際は少し超過したから160分と言っておこう。普通、これだけの長さがあったら中だるみがありそうなのに、人々の頭は一時も休むことなく動き続けた。

ほんとうは、何かのコンセンサスを作れたらいいねと金沢さんとは話をしていたが、それができたのか、できなかったのか、あるいはできる必要があったのか、その可能性さえあったのか、分からない。

おそらくそれぞれの主張は、そのときの議論を踏まえ、来年初め刊行予定の『インド論理学研究』に掲載されるはずである。僕自身の主張の一端は、前のブログに期間限定で掲載してあるし、僕の用意した配布資料(ほとんど読み原稿に近い。)はここに置いておくことにする。

このパネルの総括については、7月7日の駒澤大学で開催される「2012年度第1回インド論理学研究会」にて話をすることになっている。関心のある方は聞きにきていただければと思う。
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世俗諦のngo boと勝義諦のngo bo [仏教]

 印度学仏教学会もあと2日と迫ってきた。チベットの研究発表とダルマキールティのパネルの両方を掛け持ちしているために、一時の休みもなく、まだ若い大学院生のように調べ物に走ったり、コピーをしたり、文献表を作ったりしている。

 直前になって、学会に参加するどれだけの方がこのブログをご覧になっているのか分からないが(おおむね、学者はブログを書かず、またブログを見ない)、もし僕の発表に少しでも関心のある方がいたらと思い、書きかけの発表原稿の一部を公開することにした。最初は全部アップしようかと思ったが、いくら何でもそれでは研究発表の意味がないので、「1. はじめに」の部分だけを、これも期間限定で公開することにした。

「どうです?こんな問題を考えているのですが、おもしろそうだと思いませんか?もしどんな結論になるか興味を持たれたら、ぜひおいで下さい」

といった効果があるかどうか分からないが、とにかく、何を発表したいかだけは公開しておくことにした。

 ダルマキールティの方についても、もう少しメモができたら公開したいと思うが、こちらは、関心を持って会場に来られる方が多いだろうと予想されるので、逆に来られなかった方に、その概要だけでもお伝えできればと思う。
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学会前に刊行予定論文の限定公開 [仏教論理学]

 印度学仏教学会学術大会まで現時点であと5日となった。研究発表にパネルの発表と両方をこなすのは、大変なことである。その上、何度も『インド論理学研究』誌に寄稿しようとしては挫折してきたsvabhāvapratibandha関連の論文も、学会前に何とか仕上げなければと、最後の力を振り絞って(というわけではないが、ともかく綱渡りの時間配分をして)、テーマを極小に絞って、何とか論文は書き上げた。タイトルは、「svabhāvapratibandhaの複合語解釈」『インド論理学研究』第4号に寄稿した。

 今度の印仏学会でのパネルの内容に即したものであるので、パネルの前にも、関心のある方にはご覧頂ければと思い、まだ最終稿版下ではないが、Draft onlyということでPDFを期間限定で公開しようと思う。

 7月7日に、駒澤大学で2012年度第一回インド論理学研究会が開かれ、そこで、今回のパネルを終えての所感を話すことにしているので、その時までの限定公開としよう。『インド論理学研究』第4号は7月に刊行予定である。

 テーマは、文字通りsvabhāvapratibandhaという複合語をどのように分析し解釈するかということであると同時に、その前提として、いくつかの関係概念を整理した。使用したテキストは『プラマーナ・ヴァールティカ』ではなく、最も簡略な『ニヤーヤ・ビンドゥ』である。そのうちの第二章「svārthānumāna」の2.18〜2.24という短い部分の分析をしている。

 現在は、ツォンカパの二諦説についての研究発表を準備しているので、パネルの方の準備はそれが終わってから。大まかな内容は、こちらのページに上がっているものの予定である。この調子では、土曜日に研究発表が終わってからパネルの資料作りにとりかかるような予感がする。懇親会に出られそうもない。
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討論 svabhāvapratibandha─ダルマキールティ論理学の根本問題 [仏教論理学]

 しばらくぶりの更新になってしまった。

 2012年6月30日、7月1日の土日に、鶴見大学で印度学仏教学会学術大会が開かれる(プログラムのPDF)。

 そこでの発表を予定しているので、それまでの経過報告などをつぶやきたいと思ったのだが、ツイッターでは短すぎるので、こちらのブログで、発表内容についての情報をアップしていきたいと思う。

 この学会では僕は二つの発表をすることになっている。一つはチベット仏教でもう一つはインドの仏教論理学者ダルマキールティについてである。チベット仏教の方は、毎年発表しているツォンカパの中観思想についての発表である。題して

kun rdzob bden pa'i ngo boとdon dam bdan pa'i ngo bo ──『入中論』第6章第23偈の解釈をめぐって──

である。要するに『入中論』で最初に二諦説が出てくる偈の解釈をめぐってである。もちろん、話の中心はツォンカパである。全ての事物は「世俗諦のngo bo」と『勝義諦のngo bo」という二つのngo boを持っているという『入中論』の偈の意味をツォンカパはどのように解釈しているのか、特にngo boをどのような意味のものと考えたらいいのか、それを考察する。これについては、また別の機会に書くとして、もう一つの発表は、

パネル「討論 svabhāvapratibandha─ダルマキールティ論理学の根本問題」

と題するパネルの発表である。これはインド論理学研究会という、このブログでも以前紹介した研究会が中心となって企画したものである。この研究会のそもそもの発端が、松本史朗さんの印仏研の論文「svabhāvapratibandha」(30-1, 1981)執筆のための読書会であったこと、そして松本さんが着目して以降、これがダルマキールティ論理学の根本思想の一つとして多くの研究が積み重ねられてきたこと、に由来したタイトルを冠したのである。

 このパネルの趣旨および発表者の顔ぶれ、さらに各発表者の発表要旨については、インド論理学研究会のブログで紹介されているので、そちらをご覧頂きたい。また、svabhāvapratibandhaという概念についての研究の流れについては、発表者の一人片岡啓さんのブログにも簡単な紹介がアップされている。

 ここでは、ある程度ダルマキールティの論理学についての知識を前提として、僕の考えていることを少しずつ説明していきたいと思う。当日の発表時間は限られ、また僕自身の理解が、他のダルマキールティ研究の本流の人たちと大きく違うため、ある程度の地ならしをしておきたいと考えてのことである。

 さて、僕自身は、松本さんの論文のあと、svabhāvapratibandhaについて印仏研に二つの論文を書いた。今はいい時代で、こういう過去の論文のPDFが公開され、誰でも即座に参照できるようになっている。一つは、1984年の「ダルマキールティにおける論理の構造への問い」(『印仏研』33-1)で、もう一つは1987年の「ダルマキールティの論理学におけるsvabhāvapratibandhaの意味について」(『印仏研』35-2)である。今読み直してみると、この3年の間に、論文の書き方は随分変貌している。1984年の論文は、自分でも何を書いているのか、にわかには理解しがたいような、抽象的、観念的、思弁的な内容の論文である。その中のいくつかの言葉を除いては、もはや論文自体は必要ないのではないかと思えるほどである。

 一方、1987年の論文は、これも挑戦的、挑発的で、丁寧な議論などすっ飛ばして、結論だけを書き連ね、その論拠になるテキストは、説明もなく訳もせずにずらっと列挙しただけの代物であった。それでも、前のものよりはずっと具体的で、いくつかの論理のほころびや、曖昧な点、言い過ぎている点などがあるにせよ、基本的な理解は今も変わっていない。僕は、このパネルでの発表の前提として、『インド論理学研究』にこの簡潔すぎる旧稿を、もう少し丁寧に説明するような論文を書こうと考えた。考えたのは今年の初めだったが、実際にやってみると、単純に「丁寧に説明する」だけでは済まなくなり、いろいろと書き足している内に収拾が付かなくなっていた。まだ学会までには何とか書きたいという希望を捨てたわけではないので、このようなブログなど書かずに論文に集中しろよ、ということではあるが、万が一、書けなかったときのために、非公式にでも僕の考えをざっくばらんに書いておくことにも意味があるだろうと思って、この記事を書いている。

 さて、僕のsvabhāvapratibandhaについての理解は、また次の記事に書くこととして、他に関連する論文についても簡単にコメントをしておきたい。ダルマキールティは、svabhāvapratibandhaには二つのタイプがあると主張した。一つは、「それから生じることtadutpatti」であり、それによって結果から原因を推知させることができる。もう一つは「それと同じ存在を持つことtādātmya」で、それによって同一のものについての、「Aであるものは全てBである」という形での推理させることができる。このtādātmyaは、別にtadātmatvaとか、tadsvabhāvatvaとかと言われるのだが、その複合語および意味の解釈については、諸説あって、議論になっている。ある人は、「それを本質としている」と解し、ある人は「それの本質である」と解する。いずれの場合も、主語は論証因で、「それ」という代名詞は所証(sādhya)を指している。

 さらに、そのような分解はあまり意味がないと考え、これは概念としての論証因と概念としての所証が「実在において同一であること real identity」の意味である、と主張する。

 この問題について、哲学的に考えてみたのが、1991年の「自己同一性について : ダルマキールティ論理学におけるtadātmatvaをめぐって」(『前田専学先生還暦記念:我の思想』春秋社. pp.655-666) という論文であった。このころ僕は、tadātmatvaを「それをātman、すなわち自己存在としていること」という複合語として考え、あるものがあるものを自己存在と言えるための条件は何か、という問いを立てた。ダルマキールティは、その条件としてbhāvamātrānurodhin「その存在全てに共通に随伴していること」を挙げているが、さらに周到に「他のものに依存していないことnānyāyatta」とも付け加えている。多くの人は、この上の条件のmātraを「のみ」という意味に解し、「そのもののみに随伴していること」と「他のものに依存していること」を逆の意味であると理解するようであった。つまり「そのもののみ」とは「他のもの」の否定であり、「随伴していること」と「依存していること」は同じような意味であると、何となく理解しているようである。

 それに対して、僕は「他のものに依存する」というのは、「そのものが生じる原因以外のものに依存する」ことであると考え、そのようにそのものが生じるための原因以外のものに依存すると、そのもの全体に普遍的に随伴することがなくなり、何らかの限定が生じることになる、したがって、mātraというのは、そのような限定がないことであり、それによって、そのものの全ての成員に等しく成り立つという条件が満たされると考えた。もちろん、勝手に考えたわけではなく、ダルマキールティが、存在するものの刹那滅性を論証する議論に使われる原理から抽象し、一般化したものに他ならない。
 そんなことを背景に考えながら、ただ、インド学仏教学の論文らしからぬ体裁で書いたのであった。さらには、そういうスタイルを貫徹するために、やや無理な誘導をしたりして、その部分については論理的な破綻もしているかもしれないのである。本当は、ダルマキールティの「刹那滅論証」について、きちんと原文に即した議論を書くべきであったのだし、今ならそうするであろう。それ以前もそれ以降も、この「刹那滅論証」については多くの論文が書かれている。それらに全部目を通すならば、あるいは僕が言おうとしていたことを誰かが既に言っているかも知れない。だが、もしそうならば、tatsvabhāvatvaの重要な条件であるmātrānurodhinとnānyāyattaについて、「そのものだけに随伴し、他のものには依存しない」などという訳をそのままにしておくはずはないと思う。つまり、正確に刹那滅論証の「意味」を理解するならば、そのような訳にはならないはずなのである。

 ということで、この論文も、今となっては反故にしたいのではあるが、原文に即した論文を書くまでは、そのまま、そっとしておく方がいいだろうと思っている。

 ちなみに、この論文を収録しているのは販売されている本であり、電子データが公開されているわけではない。著作権は僕にあるとしても、印刷された版面には出版社の権利も含まれる。それを一般に公開することは禁止条項に反するかも知れないが、とりあえず、もし問題があれば引っ込めるということで、期間限定でここで秘かに公開しておこう。抜き刷り代わりにダウンロードしていただければと思う。

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