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凶に取り付かれた男 [雑感]

今年はまだ初詣をしていないので、おみくじを引いていませんが、僕はこれまで、おみくじでいいものが出たことがほとんどありません。

 特に、年始に七福神巡りをして、ちゃんとお賽銭も供えた上で引いても、「凶」を引くことかが多いのです。確率的にはあり得ないくらい、です。毎年、近場で山の手七福神というのを回るのですが、そのうち、大円寺というお寺(国指定文化財の生身の釈迦如来像が有名。)で引くおみくじは、常に最悪です。

 ある年、「凶」というだけならまだしも、病気について「十に八九は死すべし。」と出てきます。これはないですよね。こんなことを書いたものを、新年の始めに引かされた日には、その一年をどうすればいいんでしょう。

 そのおみくじには「このような不幸なみくじに会う人は、観音か弁天を念じて、その救いに依らなければ、乗り越えることはできない」などと書いてありました。その年は他のところで引いても凶ばかりでした。これはかなわぬということで、僕は日本三大弁天様をお参りする行脚の旅に出ました。三大弁天以外にも、池があるところには弁天様がお祀りされていることが多いので、そういうところを見つけると、必ずお参りしました。

 日本三大弁天というのは、江ノ島の弁天、琵琶湖の竹生島弁天、広島の宮島弁天です。まずは近場の江ノ島から始まり、夏までには三大弁天全部にお参りを果たしました。お陰様で、その年は特に何事もなく、年の瀬を迎えることができました。

 凶を引くことが多いとはいえ、「十に八九は死す」などという、あるまじきご託宣の書いてあるおみくじは滅多にないのですが、昨年秋、青蓮院門跡の熾盛光如が平安以降初めてご開帳になったときに行ってきたのですが、そこで引いたおみくじも「凶」で、しかも「十に八九は死すべし。」とありました。あわてて、お守りを買ったのですが、このおみくじには、どうしたらこの難局を乗り越えられるかが書いてありませんでした。

 それから3ヶ月ほど経っていますが、とりあえず、生きながらえています。お守りのおかげなのか、前回書いたように、健康コンシャスな生活をしているためなのか、はよく分かりません。

 また今年も七福神を回って、大円寺でおみくじを引いてみようと思います。


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明けましておめでとうございます [雑感]

 三日坊主を反省したはずなのに、またまたしばらく更新が途絶えてしまいました。
 新しい年を迎えて、心機一転、できるだけ更新をしていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 さて、新年といっても、僕らの業界では、新年度になるときのような大きな変化はありません。どちらかというと、一年度の総決算、辻褄合わせの時期に突入する、という感じです。学生のみなさんもそうだと思います。

 現四年生のゼミのみなさんは、正月返上で卒論の仕上げに没頭していることと思います。今年度は、ある意味、みんなが揃って卒業制作に取り組むことができ、それぞれのテーマや力量に応じて、それなりのものを仕上げました。しかし、その分、論文を書く時間がとれず、12月末日までに草稿段階のものを送ってもらっても、まだ完成していないものが大半でした。今回は、論文の書き方などについては、拘っていられない、という感じです。来年度は、もう少し計画的に制作と執筆を進めていきたいと思います。

 三回生は、卒論のテーマを決めて、基礎的な勉強に入っています。本当はこの冬休みに、正規表現の課題を出そうと思っていたのですが、僕の方で時間がとれず、出さず仕舞いでした。たぶん、1月も後半になると、就活に忙しくなり、しばらく卒論ないしは卒業制作の準備からは遠のいてしまうでしょう。その間でも、勉強したことを忘れないように、少しでも手を着けるようにしてほしいと思います。

 驚いたことに、二回生が既に12月のうちからゼミの話を聞きたいと面接に来ました。9人の学生が来て、そのうち4人が申し込んでくれました。早いですね。ゼミの説明会は2月2日で、例年、面接はそれからの申し込みだったのですが。

 僕自身の研究については、ここのところ、専門のチベット仏教の哲学的研究からは少し遠ざかっています。科研費でツォンカパの伝記の研究を申請していて、今、その『秘密の伝記』という、神秘的ヴィジョンを通してツォンカパの思想の成長を描いた伝記を訳しています。様々な仏がツォンカパのヴィジョンの中に現れ、ツォンカパと対話したりします。神秘的な表現が多いので、難しいのですが、何とか年度内に仕上げようと思っています。そうしたら、ふたたび集中的に哲学的問題の研究に戻りたいと思います。

 そうそう、もう一つ、チベット文字関係のプログラムやEasyLayoutなどの現在生きている配布プログラムの改良も進めていきたいと思います。

 新年に当たり、夢はいろいろと膨らむのですが、一体、どれだけ時間がとれますか。今日やるべきことを明日に延ばすな、といつも学生に言っているのですが、それはまさしく僕自身に向けられるべき言葉だと思っています。


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飽きっぽい性格 [雑感]

 また、しばらく更新が途絶えてしまいました。

 昨年末から始めたこのブログ、ほぼ一年が過ぎました。夏休みの頃までは、ほぼ毎日、かなりの長文の更新をしていましたが、やはり息切れがして、最近は一月に一、二度とペースが落ちてしまいました。飽きっぽいのでしょう。

 その性格を象徴するかのように、家には買ったままうち捨てられたままの健康器具が山と積まれています。通販の餌食にされてますね。器具だけではなく、健康オタクとしての本の収集癖もあります。気功や指圧、マッサージ、足裏健康法、ヨガ、ストレッチ、漢方、ダイエットに姿勢矯正、歩き方、中年からのスポーツ、ピラティス、ダンベル体操などなど。

 これらをちょっとやっては飽き、また別のことを試してみる、というようなことを繰り返してきました。何をやるにせよ、そのまま続けていれば、きっと絶大な効果を発揮していたことでしょう。しかし、効果が出る前に、あるいは効果が出た頃に続かなくて止めてしまうことの繰り返しでした。

 指圧とか足裏とかは、自分に対してではなく、他の人に対してやるものですが、これはかなりのレベルにまで達していたと思います。失業したら、これで生計でも立てるか、などと安直に考えていたこともあります。もう、かなり忘れてしまいましたが。

 前にも書きましたが、血糖値が高めなのですが、これが昨年から始めた夜のお参りで1時間位歩くことで、かなり下がってきました。しかし、それに気をよくして、だんだんと血糖値コントロールもおろそかになり、食事の量が増えたり、京都にいる間は、忙しくしているために余り歩かなかったりと、手抜きが目立つようになってきました。

 血糖値測定の器械も買ってあるのです。これは針を指の先に刺して血が出てきたのを使って調べるのですが、これが何度もやっていると、指の先全体がぴりぴりする程、痛くなってきてしまい、続けて使いづらいものです。一時よくなったころには、自分の体の調子で血糖値が下がっているのが分かり、また少しくらい不摂生しても、下がらないような体になっているので、どうしても、検査もおろそかになってきます。

 そうこうしているうちに、再び、高血糖の状態になってしまいました。こうなると、体はだるいし、食後は眠くなるし、いいことは何もありません。検査結果も悪くなります。飽きっぽい性格とか言って、笑っていられなくなりました。

 今は、食後30分から1時間したら、最低でも15分間は早足で歩くようにしています。特に家にいるときには、30分から1時間歩きます。これだけ歩いていると、途中から明らかに消化が進んでお腹が引っ込んでくるのを感じますし、体に潤滑油が回っているような感じになります。これを止めたら、本当に病気になってしまうことが分かっているので、今度こそは飽きずに続けようと思っています。


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二人の思い出 [雑感]

 僕たち夫婦は、よく外で待ち合わせることがあります。もちろん、自宅から一緒に出かけることもありますが、それは近隣の散歩などで、もう少し遠出する場合には、僕が先に出ていて、後から妻がやってくるとか、たまに僕が京都にいて、妻が東京から出てきて、どこかで合流するとかもあります。

 昨日、京都の叔母のお通夜で僕が京都にいるところへ妻が東京から日帰りで、というか、ホンの2、3時間出席するだけのとんぼ帰りでした。こんな強行軍をするのは、ごろうちゃんを一人にしておけない、という家庭の事情があるからです。

 待ち合わせは、石田という京都の地下鉄の駅を出たところでしたが、たまたま同じ時間の電車に乗っていたため、降りたホームで出会うことができました。それから、その日のそれまでの出来事を話しながら、こっちから出た方がいいよ、とか、ここは階段が長いからエレベータで出た方がいいよ、とか、昔その叔母の家に3日ほど泊まったときのことを、それぞれ思い出したりとか、途中で妻が漢方薬を飲むための水を買いに、地元スーパーによったりとかしながら、叔母の家まで10分ほど歩いて行きました。

 こんなたわいもない会話(それを、皆さんに聞かせるのも気が引けるのですが、)でしたが、そういう思い出は、後になって、すごく懐かしく思い出されます。後、といっても、次の日の今日は、同じ地下鉄への道を一人で帰りながら、前日の待ち合わせや、一緒に歩いたことが懐かしく思い出されました。

 昨日の話の中でも、以前に二人でこの同じ道を歩き、叔母の家に泊まった思い出をいろいろと話し合ったわけで、そこでも、話題は二人の思い出でした。

 ただし、たいてい妻よりは僕の方がよく覚えています。僕はそれほど記憶力がある方ではないのですが、不思議と二人でしたこと、二人でどこかに行ったこと、その情景などはよく覚えています。ふと気付いてみると、一人でしたことは、あまり記憶に残っていないような気がします。一人でいるよりは、二人でいる方が楽しいということなのでしょう。あるいは一人でいるときには、僕は、何も見ていないのかもしれません。こうして僕にとっては二人の思い出だけが積み重なって行くのでしょう。

 今日の叔母の告別式については、また明日書きます。


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明るい性格 [雑感]

 昨日、妻の母方の叔母(妻の母の長姉)が、突然亡くなったという連絡がありました。たまたま、この叔母は京都に住んでいたので、今日、お焼香に行って参りました。今年89歳ですが、朝は普通にみんなと食事をし、ゴミも出し、その後部屋にもどって寝ていたらしいのですが、昼ご飯に出てこないので見に行ったところ、テレビを見たまま亡くなっていたそうです。本人にとっても突然のことらしく、苦しい表情もしていなかったということです。

 普段から、心臓が悪く、発作というほどのことはないのですが、胸が苦しくなるとニトログリセリンを服用していたそうで、今回は突然のことで間に合わなかったのでしょう。日本画をやっている叔母は、本の三日前には、奈良まで写生旅行に行ってきたそうです。

 顔は、とても89とは思えないほど、艶がよく、シワ一つありませんでした。やせて、小柄ではありましたが、これまで入院したこともなく、亡くなるときも、全く人の手を煩わせることがありませんでした。

 妻の母方の家族は、多くの場合、A型家族です。そのため、みんな一致団結した、まとまりのいい、仲の良い家族でした。特に一番年上の叔母は、性格が非常に明るく、というか、前向きで、細かいことに拘らず、くよくよしない質でした。こだわりがない性格というのが、そのプラス思考の出発点だったと思います。この性格のため、ストレスを貯めるようなことはなかったと思います。それだけではく、まわりの人の心にも、その物事に拘らない、明るい性格を伝染させるような、そういう性格でした。

 そのことが自分にストレスを貯めないだけではなく、他の人からのプラスの影響も引き出し、まわりを幸せにもしてきました。そのことのゆえに、89歳まで長生きをさせ、また特に人に迷惑を掛けることなく、最後を迎えられたのでしょう。人のためになることが、最終的に一番自分のためになる、という例の一つのような気がします。

 ご冥福をお祈りいたします。


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餓鬼道の寝姿 [雑感]

合成ではありません。また動いている途中でもありません。このままで止まって寝ています。


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餓鬼道というネコ [雑感]

 うちの二代目のネコは、「餓鬼道」という、あまり誉められない名前で呼ばれています。以前、うちの近くの四つ辻に立って、通る人ごとにエサをねだり、とりわけ一度でもエサをあげた人にはその十字路をしばらく追いすがっては、エサを催促していました。他の人にどれだけもらっていても、底知れずに欲しがり、出せば出しただけ食べてしまっていました。その姿に「餓鬼」を感じて命名したのでした。

 もちろん、他の人たちは、それぞれの思いで別の名前を付けて呼んでいたのだと思います。そのときは、まだ一代目の茶虎のメスネコ「るりちゃん」(これは麗しい名前です。由来は・・・ちょっと長くなるので、後日改めて。)が存命していたので、道すがらエサをあげるだけにしていました。そのるりも齢18にして他界してしまい(その末期の闘病記は、http://tibet.que.ne.jp/okamenomori/tuito.htmlに書かれています。)、しばらくは、るりの冥福を祈って新しいネコを飼うことは控えていました。

 ところが、ある時、エサを餌に餓鬼道を家の前まで連れてきたら、着いてきたので、しばらく家の前で挙げたあと、次に門の中で挙げ、玄関の中で挙げ、して、ついには、家の中でエサを挙げることに成功し、その後、しばらくして、とうとううちの家ネコにしてしまいました。

 外でもエサをねだり放題だったのですが、家ネコになってからも、一回にスティックタイプの乾燥エサと缶入りの生エサを一度に両方要求し、それが日に4回程度欲しがる、という大食漢で、ますます太っていきました。太るといっても、贅肉でだぶだぶというのではなく、堅太りというか、触っても、筋肉質のままで巨漢になっています。こういうネコは寝るとき、背中を下にして上向きで寝ます。その方が楽みたいです。このままでは、僕と同じ糖尿まっしぐらではないか、と心配はしているのですが、未だにエサ出せの要求コールがきつく、ついつい挙げてしまっています。餓鬼道の呼び名に恥じない大食漢ぶりです。

 しかし、実は、その後、単に食べるだけではなく、「修羅道」と言ってもいいようなネコ人生を展開することになるのですが、そのことについては、また後日。


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お参りの途中で [雑感]

御嶽神社という神社に毎晩、9時から11時の間くらいにお参りにいく話をしました。仏教徒としての僕は、神社そのものよりも、その境内にいらっしゃる延命地蔵様にお参りに行くつもりで行ってます。うちの動物たちと妻との健康を祈願すると同時に、全ての生きとし生けるものの幸せを祈願しています。

 この神社には、所属不明の(つまり飼い主がいるのかいないのか分からない)きれいな雄ネコが出没するのです。物腰も優雅で、さらにその手触りときたら、ビロードのよう。うちの餓鬼道(という気性の荒いネコ)とは大違い。餓鬼道は余りにも太りすぎて、自分で背骨の部分まで舌が回らず、つまりそこを舐めてきれいにできないので、背骨の部分の毛がガビガビになってるし、舐めているところでも、剛毛で、撫でても気持ちよくありません。

 その御嶽神社のネコは、神社の名前に因んで「タケちゃん」と僕たちは呼んでます。夜に神社の鳥居をくぐって、回りに聞こえないように「タケちゃん」と呼ぶと、どこからともなく尻尾をピンと立てて走り寄ってきます。餓鬼道の尻尾は団子で丸くなっているので、ピンと立つことはないのですが、タケちゃんは、僕たちがくると喜んで尻尾を立ててくれます。そして、一緒に鳥居の所から社殿の前まで境内を着いて歩いてきます。

 最初のうちは、それだけだったのですが、最近は少しだけ乾燥エサを持っていって、物陰であげることにしています。他でももらっているらしくて、必ずしも全部を食べないのですが、それでも前にも増して喜んで着いてきてくれます。前はいるときといないときが半々でしたが、今は、雨の日以外は必ず待っていてくれます。

 タケちゃんに会う楽しみも、このお参りの目的の一つとなっています。どこかにデジカメで撮った写真があると思うので、アップしようかと思いますが、写真という点では、餓鬼道の方が100倍もおもしろいものがあります。今や餓鬼道は、一度も勝てない戦いに出かけては、体中を傷だらけにして帰ってきて、こんなに顔に傷のあるネコは見たことないよ、状態です。その餓鬼道の喧嘩人生については、また別の機会に書きたいと思います。


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今更ながら四月の雪 [雑感]

ヨン様ファンの妻とソン・イェジェン・ファンの僕との利害が一致して(?)韓国映画「四月の雪」を見てきました。11月4日までの、もう終わりかけのロードショウ公開だったので、劇場は空いていて、余裕で真ん中に席を取れました。

 この映画は、娯楽作品というよりは、芸術志向の強い作品で一般受けはしないだろうという前評判でいたが、果たして妻の評価は、映画としては耐え難いほど単調なものだけれども、とりあえず、ヨン様のプロモーションビデオを見ていると思って我慢していたそうです。

 確かにこれは、フランス映画の乗りに酷似しています。そう、あのクロード・ルルーシュ監督の出世作「男と女」を意識して作られたのではないかと思いました。僕が「男と女」を見たのは、かれこれ○十年前で、詳しいことは何も覚えていませんが、全体を支配するグレーのトーン、妻を亡くした男と夫を亡くした女の関係と、それぞれの配偶者が不倫して事故を起こし、植物状態になった男女という関係の類似、寒々とした風景の描写、車の中の運転席と助手席にすわった男女の無言のシーンの多用、ほとんど台詞がなく、ちょっとした表情の変化で心の動きを伝えようとする手法など、ホ・ジノ監督が、このフランス映画の名作を意識していたのではないかと思います。

 妻は、どちらかというと、はっきりした意志を明確に表現し、それを貫くアメリカ的志向が強いので、フランス映画のように、起伏が乏しく、展開のない映画には点数が厳しいのですが、僕は、これはこれでかなり好きな方なので、それなりに楽しめました。特にソン・イェジェンの非常に微妙な表情の変化に、女心がよく現れていて、それに同調しながら見ていました。

 ソン・イェジェンは、今公開中の「私の頭の中の消しゴム」で意識を失っていく妻の役をやっていますが、まだ見ていないその姿がダブって見えました。この消しゴムの方では、号泣してしまいそうです。


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食後の散歩 [雑感]

と言っても、ロマンチックなものではなく、とにかく15分間早足で歩くのがいいそうです。その15分に価値がある、とお医者さんに言われました。確かに30分くらい歩いた後は、明らかに血糖値が下がっている感触があります。自分の体の感触と血糖値測定器の値の相関関係がだいたい掴めて来ているので、自分で下がっているのが分かるようになってきました。

 それともう一つは不眠ですね。寝付きはいいのですが、というか、寝付き良すぎて会議など始まろうものなら、あっという間に寝てしまいます。2時間の新幹線も、最初の20分くらい過ぎたら、就寝体勢に入り、いつの間にやら寝ています。問題は、睡眠が長続きしないのです。

 会議のときや、新幹線ではそれでもいいのですが、夜に寝ても5時間と寝られず、起きてしまいます。夜更かしして、何にせよ5時間で起きないと遅刻してしまうということもあるのですが、それが習慣になってしまって、たとえ休みの日でも長く寝られなくなっていました。そうしていると、朝起きたときが一日で一番疲れている、という、あり得ない、毎日でした。

 そして、そういう朝に血糖値が高騰していたのでした。ネットで不眠と血糖値で検索してみると、案の定、睡眠が足りないとインシュリンの能力が低下するとのこと。さらに調べると、市販の睡眠導入剤(ドリ○ルとか)は、次の日にも残り、習慣性があるので、病院で処方してもらった方がよく、そういう睡眠薬は毎日飲んでも習慣性もなく、次の日にも残らないとのことでした。

 そこで、京都の近くの医院で、途中で起きないような睡眠薬を出してもらいました。まだ2、3日しか試していませんが、確かにほぼ7、8時間起きずに寝られて、朝起きたときには、少し頭がぼんやりはしていますが、朝食後のウォーキングを終えるころには、ほとんど影響は残りません。むしろ、これだけ長く寝られているので、体の方の疲れというか、不快感はかなり軽減していますし、当然のことながら、午後の昼食後に眠くなるようなこともなく、この分では、会議中も居眠りしないですみそうです。

 今日は、昔見たはずなのに、ほとんど筋を忘れてしまったメル・ギブソンの『ペイ・バック』をテレビで見てから、日課のお参りに行ってきました。妻は疲れているので、自転車で伴走です。このお参りの道すがら出会うものについては、また明日書きましょう。

 でも一体、僕の個人的な血糖コントロールの話なんて誰が読むんだろう。もうちょっと普遍的な話に戻したいものです。


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