大学四年生の心理 [ゼミ・教育]
現在の大学と、それを取り巻く社会、特に就職先の企業の状況は、大学の教育をかなり圧迫するものになっている。
就活は、ほとんどの場合3年の授業が終了したころから本格化し、4年の前期をかけて続けられる。これは精神的にも体力的にも相当の負担を学生に強いる。従って、学生は3年までに、ゼミと卒論を除くほとんどの単位をとってしもう。ほんとうは4年間でバランスよく取るべきものを3年間でとるのだから、一つ一つの授業が未消化のまま、単位をとることだけを目標に授業を受けることになる。
また、そうやって3年までにほとんどの単位をとってしまうので、4年生は就活に忙殺されるにせよ、内定が出てしまうにせよ、もはや継続的な学習の習慣はなくなってしまっている。
その上で卒論だ。内定が出てから取りかかることになるが、しかし、そもそも学習の習慣が途切れてしまっている(それまで、毎日大学に通い、一日数コマ授業を出ていたのに、それがなくなり、一人でこつこつと研究しなければならない)ので、なかなか卒論に手をつける気にならない。就活の間も卒論に手をつける気にならないが、就活が一段落してからも、卒論に手をつける気にならない。そのとき開放感に支配され、ふたたび勉強の世界に戻ってくることは難しくなっている。
あとは、内定がとれたのに、卒業できないとまずい、という時期になって、やっと、これも単位を確保するために卒論をこなさなければならないことになる。卒論をやらなければいけないことは分かっているが、卒論はそれまでの、人から教えてもらったことについて、何かレポートを書くのとは異なり、自分で調べ、考え、論じ、まとめる必要があるのに、それに取り組むだけの集中力が出ないまま、ずるずると時間を過ごしてしまう。
あとは、それぞれが卒業するために何とか卒論を仕上げなければならないことを自分に言い聞かせ、開放感を克服できた人から卒論に取り組みだし、それが早い人ほど、それなりにいい卒論を書くことになる。そして、ぎりぎりまで時間をかける気持ちが起こらなかった人は、それなりに出来の悪い卒論を書くことになる。
現在の就職事情が、どう好転するわけでもないので、上に書いたような事情も、抜本的に改善される見込みはない。ほおっておけば、そういう風になってしまうのは、ほとんど必然的である。
後は、就活の最初から、それとは別に勉学・研究の習慣とテンポを崩さないよう、忘れないように持っていく他はないような気がする。そもそも、卒論はそんなに簡単にできるはずのものではない。現在の大学の状況から、教師は仕方なくかなりの妥協をして4年生を送り出しているのである。そのことを忘れないで欲しい。
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