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「悟りをひらく」--マトリックスからの脱出 [ゼミ・教育]

 今日は「マトリックス」をテレビで見た。3度目かな。この映画の中で何度かこの言葉を使いながら、実際に最後のクライマックスで、それが実写で示されるところに、この映画の本当の中心があると思う。

 最後のところで、エージェントに打たれたネオが生き返り、打たれた弾が止まって見え、エージェント・スミスの体を突き抜けるとき、それまでの、仮想空間と言っても、現実世界と変わらない物理的な原理で動いていた世界を突き抜け、その原理に縛られなくなった、そのことで「悟り」が表現されていた。その時点で全てがひっくり返ったのだ。

 なんだかんだ言っても、それまでは、マトリックスの中でも、銃に打たれれば死ぬし、血も流していた。ずっとそういう世界を映画は描いていたが、その最後の時点で、銃に打たれても、死ななくなり、弾が首をひねっただけで落ちてしまう、現実世界ではあり得ないことが起こったとき、それは単にネオのパワーを示しているのではなく、それまで、本当だと思っていたものが、実は単なる夢・幻に過ぎないことを「悟った」のだ。幻想では死なないし、傷つきもしない。

 悟りをひらく、というのは、そういうものだ。

 実は映画の感想を述べたいわけではない。ゼミ生やブログなどを見ると、就活や入学などで不安になり、精神的に弱くなっている人が多いのが気になったのだ。何とかしてあげたいと思うのである。

 不安、絶望、挫折、・・・。これらは、その時々の回りの現象に触れて、心の表面に波が起こっているだけのことだ。心の本質には関係がない。何かがあれば、それに対して心が反応する。これは自然なことなのだが、「悟りを開いて」みると、それは飛んできた弾が止まって見えるようなもので、あなた自身を傷つけるようなものではなく、コップの表面の一時的な波にすぎないことが分かる。それに振り回されるのは、仮想現実の中で弾に当たって死んでしまうのと同じようなものだ。

 キアヌ・リーブスの顔つきを見てみるといい。最初、仮想現実を真実と思い込んで逃げ回っていたときの、おどおどした表情、落ち着きのない態度、何が真実か分からずにいる不安な顔。それが最後に悟りを開いたときの、全てを足下に見下ろしたような、落ち着いた顔つき。

 この、落ち着きを取り戻すためには、回りの、その時々の事象に反応している自分を客観的に見るようにすることだ。それは単に回りの現象に反応した一時的な状態に過ぎない。それはあなたの本質ではない。落ち着いて、客観的に物事を見て、回りの世界に振り回されない。確固とした自分に対する信頼を回復することだ。「強く信じ込む」というのは、真実でないことを信じることではなく、真実を真実であると確固として認識することだ。自分への信頼、つまり、確固とした自信を確立することだ。それが、自分の本当の力を発揮する、一番の道なのだ。ネオがパワーを発揮できたのは、その確信があったからだ。

 そのことを自分の中でイメージトレーニングして、落ち込まないように、臆さないように、がんばって欲しい。


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まめ

客観視、、、、。
この文を何回も読んで明日旅立ちます。大学生活においてこころにとめておきます。
今日もありがとうございました。
by まめ (2005-04-03 13:48) 

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