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大学での学び発見 [ゼミ・教育]

という名前の新入生全員必修の授業があった。高校までの勉強に対して、大学の学習・研究がどう違うか、またどういう風に取り組んでいけばいいか、ということを、体験学習を通じて学んでいく。いわゆる導入教育である。

 高校までの授業は、既に確定され出来上がった内容を先生から「教えてもらう」という受け身の授業だった。国が決めた教科書があり、その決まった内容をどれだけ理解しているか、覚えるかが問われた。

 大学でも、教師の側から一方的に与えられる授業はあるから、単純に高校までと大学とを対比することはできないが、大学で目指すべき学問は、そういう受け身のものではなく、「自ら調べ、自ら考える」ことにある。それを単に説明するのではなく、実際に体験しながら、そのやり方を身に付けていくのが、「大学での学び発見」という授業である。要するに、大学での研究の方法についてのハウツーを伝授するのである。

 大学での学問は、高校の延長のような受け身の授業と、最終的に卒論に結実する、研究的な学習の二つの側面がある。この研究の方がなかなか学生の身に付かないのである。卒論と言っても、レポートの延長、単に調べました、というものがほとんどだ。それには教師の指導の仕方に問題があるのでもあるが、現在の大学のように、全入に近い状態では、一定の手続きを踏めば、そこそこ、オリジナルな研究が出来るようなハウツーが必要なのである。

 これまでは、方法を示さず、自分で考えろ、これじゃ卒論として失格だ、などと言うだけで、どのようにしたらいいか、ついては何も教えてこなかった。一部の積極的な学生なら、あるいは一部の優秀な大学なら、それでもいいかもしれないが、それは、教師がよく指導したからではなく、学生が一人でもやれるだけの資質があったからなのだ。結局は教師は何も教えていないのである。

 しかし、現在のように多種多様な学生がいて、大学は社会に出るための一ステップにしかすぎない(したがって、内容よりも単位が大事)と思っている学生が多いような中では、学生の自主的な研究を期待するのには無理がある。

 そこで、一定の手順を踏めば、誰でも、単に調べました、というのではない、自分で問題を考え、自分の考えで調べ、調べたことを自分の頭で考えて問題の解決を提示する、という一連の作業がこなせるようなノウハウを教える必要がある。実は、そのようなノウハウは、教師が学者として日常とっている方法とは若干異なったものである。教師の身に付けている方法は、学者になる人のものであり、学者になるわけではない学生には、大学生としての研究方法を身に付けさせなければならないのだ。

 こういうことは、研究者である大学の先生には、未知の領域なので、何人もの教師が、新入生全体に対して同じノウハウを教える、というのはなかなか難しい作業である。さらには、このようなノウハウの必要性が、理解されづらい。教師の側も、自分がその授業を担当して、経験することによって始めて理解できるようになる、といった性格のものであり、現実には、他の教師に理解してもらうのは、難しい。それが今後の課題である。


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