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虹に祝福される [チベット]

 夕方、二重の虹を見た。チベット語の古い論理学書の研究会を終えて駅から外に出ると、突然雨が降り出したが、空の一部にはまだ太陽の光が当たっていたところがあった。風も吹いていて、台風が過ぎ去った後に、まだその影響が残っているかのようだった。

 駅から見た建物の間の、太陽の光が輝いてた空の一部に、色鮮やかな虹が立ち上がっているのが見えた。そして、その弧の上に、さらにもう一本の、薄い色の虹がかかっていた。

 この美しい光景に雨の中を傘をさす気にもならないまま、その虹の方の道を下りていくと、色鮮やかな方の虹は、東京の空に大きく半円を描いて、一方の端からもう一方の端までくっきりと現れていた。 その上を薄い虹が、さらに大きな弧を描いて淡く浮かんでいた。

 チベットでは、二重の虹は吉祥の象徴の一つである。何か特別な、宗教上重要なことが起こったときに現れると言われている。もちろん、滅多に見られるものではない。それを東京のこの空の上で、はっきりと見ることが出来た。

 虹は、家に帰るまでのほんの10分の間にどんどんと薄れていき、家に着く頃には、ほとんど曇り空の中に消えてしまっていた。はっきり見えていたのは、5分くらいだろう。その5分に出会うことができる確率はどれほどのものだったのだろう。

 何かが起こったことを告げ知らせるものだったのだろうか。

 僕は、これまで数年の間、いやたぶん10年くらいかもしれない。チベットの最大の仏教者であるツォンカパの哲学について、いくつもの論文を書いてきた。そのときどきに分かった、と思うことを少しずつ書きためてきた。これまで僕はそれを振り返ることをしてこなかったが、最近、そのツォンカパの哲学の中心思想について、ほぼ自分の納得のいく理解にたどり着けた、あるいは僕の能力ではこれ以上の理解を得られそうもない、という気持ちを抱くようになっていた。そこで、今日の研究会に向かう地下鉄の中で、僕は自分の書いてきた論文のタイトルを書き出してみた。

 それは数えてみると10本以上の数に上っていた。気付いてみると、相当な量になっている。これを現時点の理解に基づいて書き直せば、ツォンカパの根本思想についての理解を一冊の本にまとめることができそうであった。今日、僕は始めて、それをまとめなおしたいという思いを抱いた。もちろん、まだ書き足す必要のあること、懸案になっているが書いていないこともある。そのためまとめるとしても1年か2年はかかるだろう。しかし、それにとりかかっていい時期になったと考えていた。

 そのことと虹の間に何かの関係があるわけではないだろう。しかし、僕はそこにある励まし、あるいは祝福が意図されていると思わずにはいられなかった。


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コメント 2

紫綺

僕は、一度、偶然にも虹の下を車で通っていくような経験をしたことがあります。
そのときは、ちょっと嬉しかったです。
by 紫綺 (2005-06-12 21:50) 

yfukuda

それは東京では不可能ですね。広く開けたところならではだと思います。チベットでも、虹の話はたくさん出てきますが、やはりあそこも視界が非常に開けていて、木が少なく、一方山や湖があり、虹が出やすいのだと思います。といっても、二重の虹を数年前にも、同じ東京の家の近くで見たことがあります。二重の虹が出ることがよくあるのか、それとも、それに何度も出会うチャンスが僕にあるのか、それは分かりません。
by yfukuda (2005-06-13 01:34) 

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