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卒論の重み [ゼミ・教育]

これまで何度もこのブログで、卒論・卒業制作に時間と労力をかける必要を説いてきた。いいことか悪いことかは分からないが、様々な理由で、現在大学生は3年生までにほとんどの単位を取ってしまい、4年生はゼミと卒論を残すだけ、あるいはあと一つか二つの授業をとるだけになっている学生が多い。

 その余った時間は、まずは就活に注がれるが、それも5月から6月がピークで、そこで内定が出ると、あとはやることがなくなってしまう。アルバイト、旅行、友人と遊ぶ、もちろん、残っているゼミや卒論のこと、少しずつは手を着けるが、3年まで毎日のように大学に通っていたのに対し、4年生は大学に通わなくなる。

 通わないだけで、自分できちんと勉強していればいいが、一人で勉強を続けるには、多大な精神力を必要とするので、現実問題、勉強はしなくなる(ように見える)。

しかし、卒論は、きちんとやろうとすると、それほど甘いものではない。というか、適当にこなすか、自分の学校生活の総決算、到達点として充実したものにできるかは、その人の取り組み方次第なのだ。もちろん、適当にこなすといったって、やはり、人の文章のコピペだけで通るほど甘くはないので、何か調べて、曲がりなりにも自分の論を展開する必要はあるが、原稿用紙50枚から100枚程度で、出来を気にしなかったら、一月もあれば、それなりのものが書けるだろう。

 しかし、きちんとやろうとするならば、1年近くの時間をかけて、じっくりと取り組む必要がある。これまで、一つのことについて1年をかけて取りくみ続けた経験はないだろう。レポートや課題はせいぜい2、3週間の日程で、実際に作業をするのは、数日といったところではないだろうか。ある一つの作業をこなすだけで、それがそれなりに大変だったとしても、とにかくひとまとまりの成果が出た。

 それに対して1年間作り続けるということは、どんなことか未経験のことだ。だからそれを甘く見てしまう。1年間、こつこつと積み上げていくということに耐えていくのは並大抵のことではないが、それだけではなく、それがどういうことか分からないまま、目の前の出来事や用事の方を優先してしまい、時間が余ったら、それを卒論に当てる、という生活を送ってしまう。気付いたときには、締め切りが近づき、結局は不本意なまま提出することになる。企業だって、卒論はいい加減でいいと思っているところはない。本当は、人事担当者だって学生のころはいい加減に卒論を書いたかもしれない。しかし、そのことを後悔しているとすれば、現役大学生には、きちんと卒論に取り組んでほしいと思っているだろう。

 優先順位を逆にしなければならない。まず、卒論のために時間を確保することだ。それが学生の本分であり、学生のやるべき最後の仕事なのだ。他のことは、その卒論の合間に時間を配分する。しかし、卒論だけは、毎日、出来る限りの時間を割くべきである。それを一年間続ければ、どれほどのものが出来るだろうか。今、大学四年生の人は、それがどのくらいのものになるかを想像できないだろう。君たちの思い及ぶ範囲を超えたものを作ることができるのだ。想像できないとしても、とにかく時間を掛けて、続けることである。一つのテーマを一年間、最大の時間をかけて追求すれば、相当なものが出来上がる。簡単な話だ。とにかく後回しにせず、自分の時間を全部つぎ込む覚悟をしてみてほしい。


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