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私語が多い授業 [ゼミ・教育]

 大学の授業は崩壊していると思えることがある。実際には、思ったより真面目に行われている部分もある。学生も、教師も含めて。

 僕の担当している授業でも、うまくいっている授業とうまくいっていない授業がある。教師は同じなので、違いは学生の方にあるのかもしれないし、授業内容にあるのかもしれない。

 問題は、学生が真面目に授業内容に取り組まないことにある。いろいろな意味で真面目ではない。まず一番大きいのは私語である。これは大学の多くの先生の共通の悩みだろう。そのための様々な工夫を凝らしていることと思う。僕はと言えば、余り工夫はこらしていない。もちろん、注意はするが、そして大抵の授業ではそれでしばらくは静まる。ただ、しばらくするとまた私語を始める。

 大体私語をするのは一部の生徒であり、しかも、お気づきのように、教室の後ろの方に固まって座っている。教壇から遠いというのは、私語がしやすい、ということよりは、教壇で行われている授業からの心理的な距離を著しているのだろう。つまり、遠くで行われていることに対して、身近に感じず、その精神世界に参加していない、ということの現れである。どのような学生も引きつけ、聞き入らせる巧みな話術を心得ていれば、もしかしたら、どこにいようと耳を傾かせることはできるかもしれない。しかし、それは原理的には可能かもしれない、というだけであって、たとえ、話がおもしろい、話術が巧みな先生であっても、全員を振り向かすことはできない。僕の妻はそういう話術が巧みで、熱心に通う学生もいるが、しかし、やはり私語はされている。私語がうるさくて授業に集中できないので注意してほしいという苦情が来たりもする。だから、どうも話術の問題ではないらしい。

 実は、数日前に書いた大学導入科目の授業が、ひどい私語に悩まされた。80人程度だが、一つの学科の一年生全員を相手にしての授業だった。といっても、最初に大教室に集まり、出席をとり、その日にやる作業の説明をしたあとは、20人ずつのクラスに分かれ、さらに7人くらいずつのグループに分かれてグループ学習をやるのが中心の授業である。

 私語がうるさいのは、全体の講義のときである。大学での研究の仕方を、方法として体験してもらう授業で、その具体的な手続きを説明するだけであった。大抵15分から20分くらいの、最低限の説明にして、あとは具体的な作業をさせて、その中で分からないところを説明していくようにしたが、その15分か20分が持たないのである。

 困ったことに、真面目に聞きたいという学生もいる。少なくとも黙ってこちらに顔を向けて話を聞いている学生が半分以上はいた。しかし、教室のうしろ半分では私語がかなり目立った。学生が私語をしていると教師は必要以上に疲れ、さらには集中できない。そのため、じっくり話をするような気がなくなる。できるだけ手短に話を切り上げようとする。AとBとCを話そうと考えていた場合には、Aだけで終わりにしてしまう。

 学生の側では、単位をとれれば内容についてはどうでもいい、という気持ちが強いように思う。単位をとるために出席をとっているので、それさえクリアーしたら、授業内容は聞く気がないかのようだ。こうなってしまうには、いろいろな要因があり、またその授業の特殊な性格によるところも大きいだろう。ただそれは、問題が先鋭に現れているだけのことで、多くの講義科目で同様の問題を抱えていることと思う。

 では、どうしたらいいのだろうか。難しい問題だ。

 残念ながら、僕自身はうまい方法を見出してはいない。たとえば、教壇に立ってではなく、学生の間を練り歩きながら話をしてみたりする。しかし、黒板を使わずに全部を説明するのは難しい。また、近くを通ったときには静かにするが、遠ざかるとまた私語をする。あるいは、授業を受けないのは自己責任ということで、無視して前にいる学生のことだけを考えて話をすることもできる。しかし、だからと言って、それは授業が崩壊していることを示すだけである。

 これは、学生が真面目に授業に取り組まない、という問題を抱えていて、一週間でどうにかなるのではない。まずはそこから出発するのがいいのかもしれない。


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コメント 3

<う>

 そもそも授業の善し悪し以前に,その授業を単位目的以外に全くやる気がない人がそれなりの数いるのであって,そこらへんはどうしようもないのではないのでしょうか。もっといえば,自発的に学ぶべき大学において,単位という自発性を無視した縛りがある時点で全くやる気のない生徒が出てくることは必定だと思います。

 一方で,多少改善できる面としては,一部の努力されている先生だけではなく,もう少し多くの先生が,生徒を惹きつける授業の紹介をしてほしいということです。
 多少の興味があっても,多くの授業は「それがどう役に立つのか」という点で,言葉足らずであるように思います。自分の専門用語と,先端の話ばかりならべた紹介文を書くばかりで,何が魅力的なのかさっぱりわからない授業に出て行くのと,わくわくしながら初回の講義を聴くのでは,真剣度が違いますが,多くの授業が魅力がないと,その中の一部の先生が魅力ある授業をしていても「どうせ,この授業も魅力のないものだろう」という先入観が生じてしまうようにおもいます。
by <う> (2005-07-21 11:46) 

kinneko

わたしが学生だった20年前から変わってないですね。

すでに、大学は学問の府ではなく、有料レジャーランドの一種なので、専門知識の伝授と専門家の養成を行うのではなく、エンターテイメントを提供しないといけないのではないでしょうか。
大学教員には、サービス精神が足りないと思います。もっとエンターテナーになってください。面白いネタでもつまらない講義になってしまっていませんか。

でなければ、ターゲットを変えて、授業料を上げてマスプロダクションをしない趣味の専門家養成システムに再構築する必要があります。もちろん、それがペイできるかどうかは、宣伝にかかっているので、今以上に学生獲得のための努力が必要になるとは思いますが。

現実的には、私語をする生徒を特定して、履修登録したら「可」はやるから出席をさせないというのもありかもしれません。義務を果たしていないのはどちらもですから責任は相殺されると思います。そうすれば興味のある人間だけが残るでしょう。知識伝授方の講義でも、一人の講義者が注意をまとめられる人数は20名程度ではないでしょうか。
by kinneko (2005-07-21 18:45) 

yfukuda

 コメントありがとうございます。

 魅力的な講義をする、というのは、もちろん努力目標として必要なことですが、魅力的でも聞いていない人がいるし、それが少数でも、授業全体の足を引っ張る、というのが、つらいところです。

 出席を取らず、最後の試験のみで判定する、つまり出席し、話を聞いていなかったら単位をもらえない、としたとしても、困ったことに、学生は試験のときというような先のことよりも、今、目の前にいる友達との会話の方に引きずられてしまうようです。

 ただ、100%の解決を望まず、少しでも勉学の雰囲気を壊さないようにするために、小手先だけではありますが、さまざまな方法を試行錯誤している状態です。
by yfukuda (2005-07-22 02:00) 

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