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一年の差 [ゼミ・教育]

 僕の演習には、四年生ゼミ生の中から二人がアシスタントに入ってもらっている。これがとてもうまく機能していることについては、前にも書いた。新学期三週間が過ぎようとしている今でも、やはり、受講生の評判はすこぶるいい。逆にアシスタントは席の温まる間もなく、学生の間を行ったり来たりで、疲れることと思う。

途中でアシスタントのお兄さんがついてくれて、マンツーマンで教えてもらった☆お兄さんは私がパニクっているところも、何でもわかっていて本当にすごいなぁと思った(^^)お兄さんが去っていったあと、またわからなくなって次はお姉さんが助けてくれた☆本当にいつもありがとうございます!!

というのは、ゼミ生の一人の昨日の感想だ。三年生のゼミ生である。つまり、アシスタントと一年しか違わないのだ。

 また三年生のサブゼミに(卒論のテーマが同じ内容なので、参考のため)出席している四年生のゼミ生も、回りがすごく若くて違和感がある、と言っていた。

 つまり三年生の一年間で随分とみんなは成長したのだと思う。ほとんどの学生は三年生になったとき、UnixにしてもプログラミングにしてもTeXにしても、ほとんど知らなかった。それが週3回の演習を一年間(と言っても、実質は半年強だ)やったことで、たとえ全ての内容を消化しているのではないとしても、何も知らないときに比べたら、随分遠くまで来ているのである。

 一日経験するだけで、その経験が無い人との差は開く。それが何日にも及べば、見るからに違いが出てくる。このことは勉強した人と勉強しなかった人との差でもある。また、この話になる。大学でどのように過ごすか、手を抜いた人と手を抜かなかった人と間に見られる違いも同じものである。

 今の三年生も、来年には後輩のアシスタントができるようになってほしいと思う。
 


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Webサイトを見る人・見ない人 [ゼミ・教育]

 「ブログを就活に活用」で、ゼミ関連ブログも、余り役に立たないかも、と書いたが、もう少し具体的に述べておこう。

 前から言っているが、僕の授業やゼミのサイトは、かなりページ数が多い。2年以上の授業や演習で配布したプリントが全部アップされ、ゼミ関係の連絡事項も含めてアドバイスや質疑などが公開されている。講義概要や課題についても最新情報を出している。ゼミの先輩の感想まで載せてある。

 これらは、3年のゼミを選択するときには、絶好の判断材料になるはずである。実際にゼミの面接に来た人たちは、これらをきちんと読んできた。しかし、それは実際には少数派であったようだ。オリエンテーションの時には、きちんとWebサイトを参照するように伝えたが、必ずしもみんなが見たわけではないようだ。

 つまり、どれだけWebに豊富な情報があったとしても、それを見るとは限らないのである。やはり、それなりに積極的な意識のある人は、検索したり、リンクを辿ったりしていろいろ調べるが、そうでなければ、見ないのである。一般的には、人を呼べるサイトがいいサイトのはずだが、それだって、探してみようという人を誘導できるのがいいサイトなのであって、そういう意識を持っていない人までを来させることはできない。

 要するには、見る人は見るし、見ない人は見ないということだ。問題は、見ようとする人と見ようとしない人の割合である。それはもちろん、Webサイトを作る側にしてみれば、どうしようもない壁のようなものだ。ゼミの選択の場合、学科の一学年が130人程度いて、僕のゼミは18人で、あと1人か2人が関心を持っただけのようだ。実際のところ、それ以上多くの学生が殺到しても困ったわけだから、必ずしも多くの人に関心を持ってもらうことがいいとは限らない。

 つまり、Webサイトに様々な情報を公開したからといって、多くの人が見るようになることは必ずしも期待できない。しかし、それは効果がないということではなく、最初からそれなりに意識を持って見てくれる人を引きつけるようなものを提供し、しかるべき人たちに見てもらえれば、それでいいのである。


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授業に出席するのは当たり前 [ゼミ・教育]

「70%の理解でいいわけがない」に少し補足しておこう。

 100%理解するべきであるだけではない。授業は出席するのが大前提である。出席して当たり前なのである。それは出席点を重視するという意味ではない。出席するのが当たり前なので、出席したことは、プラスの点数にならない。逆に欠席すれば、大きなマイナス要因となる。

 そもそも、単位というのは、一定の資格を与えるための事務上の数値にすぎない。しかし、勉強する、何かを身に付けるということは数値化できるものではない。もちろん、単位は取らなくていいと言うのではなく、単位をとるということは、大学機構上の最低限の必要基準をクリアしているだけであって、単位が取れたからと言って何かが身に付くわけではないということだ(これは大学生には、よく分かることだと思う)。

 大学生も2年生、3年生になると、ときどき、あるいは頻繁に授業を休む学生が増えてくる。病気で休むのはともかく、寝坊した、昨晩飲み過ぎた、などの理由でサボる学生が徐々に増えてくる。大学の授業では、何か、少し休んでも、何とかなるような雰囲気が生まれてくる。

 これは、70点で十分だ、60点でも単位は取れる、という考え方と通底している。授業内容を100%身に付けなくても、その科目を履修したことになるならば、授業に全部出席しなくても、70%も出ていれば、それでも履修したことになる、と考えるのも分かる。

 しかし、出席しなかった授業の講義内容は、永遠にその学生には伝わらない、ということを忘れてはいけない。それはテキストを読めば、あるいは配布されたプリントを見れば、何とか取り返せる、と少し真面目な学生は考えるかもしれない。それはある意味においては正しいかもしれないが、一人で本を読んで理解できるのならば、そもそもその科目について授業を受ける必要はないのだ。しかし、それはかなり大変なことだし、効率がものすごく悪い。何事も独学が可能だが、それは「可能だ」というだけで、実際にそれができる人は極めて少ない。

 先生は、そもそも、自分の話は聞かなくてもいい、というつもりで授業していはいない(雑談はさておき)。自分が大事だと思うこと、理解してほしいと思うことを講義・演習しているのである。内容に関しては、一言も無駄な言葉はない。先生の頭の中では、その話の全体で一つの科目の全体像が描かれている。その一部でも欠けていいとは決して考えない。それを欠席するということは、先生が考えているその科目の全体を受け取れない、ということだ。

 結局、少しぐらい欠席してもいいだろう、と考えている学生は、大学で学べるはずのものを学ぶことなく、単位だけを取って卒業していくのである。大学は、扉を叩くものには、奥深い情報や知識を与えてくれるが、その扉の前を素通りしてしまうものには、何も与えてくれることはない。

 どちらを選ぶかは、それぞれの人の考え次第だ。


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ゼミ生のブログ [ゼミ・教育]

折角だから、ゼミの三年生のブログアドレスをリストアップしておこう。左欄の「読んでいるブログ」にもある程度表示されるが、数が限られている上、どういうわけか、ブログ自体は更新されているのにRSSが更新されていない人もいるので、こちらが完全なリストです。

 順番は、特に意味はない(というか、名前の順なのだが、名前が出ていないのでここでは意味がないということ)。


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ブログを就活に活用 [ゼミ・教育]

4月19日付け朝日新聞の夕刊に、「就職活動にブログ熱」という記事があった。

 まずは、就活中の学生が作るブログについての紹介。各ブログサイトには、就職関係を共通テーマとしたブログ分類が必ずある。そこには、就活の間に出会う様々な出来事についての感想が書き込まれて、相互にコメントやトラックバックをし合っている。時には、求人のコメントがあったりもする。

 このような学生のブログは、単に日記というのではなく、自分を客観的に記述するトレーニングになる、という効用があると、その記事では指摘している。

 一方、求人する側もブログを利用している。まず応募してきた学生にブログを作らせ、その出来具合を判定の材料にする。トラックバックがいくつ以上ついたら合格とか。直接会わなくても、その人の人柄や企画力、着想力を判断する材料になる、と言う。

 また、求人する企業の内情を公開するためにブログを作っているところもある。人事の担当者が、会社の公式の立場をやや離れて、自分たちの日常の様子を書き込むことによって、その会社の実際の様子を学生に分かってもらえる。

 とここまで読んで、そうだ。やっていることは僕のゼミも同じではないか。三年生がゼミに登録するときには、まずその前にブログやWikiなどで、一年間のあらゆる情報を公開しておく。ゼミの先輩たちの、ゼミについての感想も載せる。そして、それらの情報をもとに面接をする。さらにゼミに参加する条件としてブログを開設してもらう。まだ新学期が始まる前から、ブログでの書き込みややり取りを通じて、それぞれの性格などが分かるようになり、また相互に親睦も深まる。その効果は大きいことは既に前にも書いた。実に時流にのったやり方だ。

 そうして、今や毎週の授業のコメントも書き込んでもらい、進度や難易度の調整、質問受付、連絡などに利用している。毎日更新してくれる学生もいる。日常の日記も書き込んでいる。僕は、毎日全員の更新を確認し、日記的な記事はともかく、授業についての記事については、必ずコメントを入れるようにしている。というわけで、相当の情報が貯まってきている。

 そもそも、ここまで情報が公開されているゼミは珍しいだろう。いや、他にはないだろう。むしろ、あまりにも情報量が多く、逆に読み切れない、つまり、全体像がつかみきれないことが心配なほどだ。

 これは、僕の学科の売りにもなるのではないか、と思っているのだが、実際にはそれほどでもない予感がする。ということについては、また明日書くことにしよう。

 


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70%の理解でいいわけがない [ゼミ・教育]

 大学の授業は、大抵テストで60点が、単位が取れるかどうかの境目になる。優とかSとかAとかいった、よりよい成績を目指す人もいるが、とりあえず、単位がとれればいいという人もいる。

 一方、出題ないしは採点する側でも、難しい問題を出す、あるいは先生の立場からすれば、この位はできて当然というレヴェルの高い問題を出す先生もいる。

 大学の授業は、それぞれの先生に全面的に任されていることが多いので、客観的な採点基準もない。だから、どういう方針で授業をし、採点をするかは先生毎にまちまちになる。ここでは、僕のやり方を説明しておこう。

 実は僕の演習の授業は、出欠をとらない。出席するのが当たり前なので。それだけではなく、休んだら結局困るのは自分なので、つまりは自己管理の問題ということになる。

 また、何度か復習のための小テストをするが、これも成績をつけてはいない。小テストは本人が、その前の週に学んだことについて自己確認をするためのものだ。

 そのテストは、僕は必要最低限のことしか出題しない。精選し、絞りに絞って、ぎりぎりのところしか教えていないし、テストもそれを確認するために行う。暗記はできるだけ少なくしている。

 だから、僕のテストでは、100点を取るようにしてもらいたいのだ。70点なら、単位の合格点は確保している、などということは、一切考えてはならない。70%しか理解せず、次の章やプリントに進むというのは、どういうことだろうか。出来るに超したことはないが、出来なくても単位はもらえる、というのでは、その最低限の内容をこなしていない、ということになる。単位はもらえるかもしれないが、結局これも後で自分が困ることになるだろう。

 内容の理解に関しては、100%理解して欲しい。その上で、厳選された覚えるべきことを何度か繰り返し書くなり唱えるなりして覚えて欲しい。覚えるべきことはは「厳選されて」いるのだから、全部きちんと覚えて欲しい。これは決して無理な注文をしているのでもなく、予習や復習が(前の記事とは結論が異なるが)それほど必要なことではない。それをやるかやらないかは、その人の勉強に対する姿勢による。

もし70点のまま続けているとしたら、その人の仕事は決して評価されることはないだろう。他の学科はそれでもいいが、コンピュータを扱う僕らの学科・ゼミは、70点では通用しない。60点で合格点、70点でそこそこ、いい成績だなどとは考えてはならない。


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就活の面接に際して [ゼミ・教育]

「就活--不採用通知」にコメントをいただいた。この記事は、いくつもの会社から不採用の連絡があり、やってもやっても落ちてしまうことに意気消沈している人のために書いたものだった。僕自身は、実のところ、就活をしたこともないので、端から見て感じていることを書いただけだが、コメントをいただいたkekekeさんは、実際に面接をされる側からのコメントだった。kekekeさんは僕の意見に同意されながら、さらに体験に基づいて、もっと正確なコメントを寄せられた。今、就活でがんばっている人は是非、読んで欲しい。

 だが、もっといいのは、kekekeさんが、ブログで書かれた「就職活動」「就職活動(続き)」だ。

 「素のままで取り組もう」という意見は、僕も全くその通りだと思う。社会人である面接官(たぶん、若いのもいて、そ社会経験がなかったら、人を見る目がなかったりする場合もあるが、)から見れば、学生がにわか仕込みで身に付けた(と思っている)態度は、直ぐに見破れる。少し話をしていれば、表面的な言葉、どこかで教えられたような決まり切った意見、これがいくら続いても、採用したい、ないしはもっと話を聞きたい、という気にはならないだろう。

 どこかで覚えたような言葉ではなく 、自分自身のありのままを、ただ言葉遣いだけは丁寧にしゃべればいいし、それが伝われば、きっといい結果が返ってくる。もしそのことに気付かない面接官だったら、そのようなところには縁がなかったのだと思えばいい。

 もちろん、素のままといったって、何も準備はいらない、ということでもないし、いつも通りでいい、というわけでもない。もう一つ、自分に自信があるのとないのとも、面接官には直ぐ伝わるそうだ。自分に自信がある、というのは、何事に対しても前向きになれるということにつながる。というか、自信のあるなしというのは抽象的な言い方で、前向きな姿勢があるかどうか、という視点で考えた方が分かりやすいだろう。

 緊張しているのは当然だし、緊張しているなら、それを解いてあげたいとも、面接する人は思うだろう(僕はそう思うけど、人によるかも。)。緊張を解いたら、その人の素の様子が見えるからだ。それが見たいからだ。そのとき、その人が前向きなオーラを発していたら、好印象を与えるだろう。後ろ向きだったら、マイナスの印象を与えてしまうだろう。

 これなら、今からでも心の持ちようで、イメージトレーニングができるのではないだろうか。何事にも前向きに取り組もう、と毎日、そういう意識で過ごしてみよう。それが自分の心に深い影響を与えて、面接でもきっといい結果を残せるだろう。


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採用が増えても就活は厳しい [ゼミ・教育]

 今日の朝日新聞に、今春の就職戦線は、採用枠が増えているが、企業側の採用基準は厳しい、という記事が載っていた。

 つまり、企業が採用したいと考えている人数は増えたが、その枠まで採用するとは限らず、人物次第で、一定の水準にないと採用しない、というのだ。そのため、選考を厳しくし、面接を何重にも繰り返し、本当に実力のある人を採用しようとしているのだそうだ。

 このことは現在就活中の人は、肌身で感じているだろう。去年までは面接一回で採用、という話も聞いたが、今年は、三次面接までいくケースが多い。というか、その途中で落ちていれば何次までいっているか分からず、残っている人は三次まで面接があるのである。

 企業が求める人材については前に書いたことがある。要は、いろいろな問題を自分で解決し、独創性がある人材ということになる。プラス、人々の中での調整能力も問われる。社内で人材を育成している余裕はなく、即戦力となる人材を求めているのだ。

 今日の記事で印象的だった一言は

昔は部下にしたい素直な学生を求めたが、今は、2年後には上司として手綱を引ける自身がなくなるくらいの成長度の高い学生を採る。

分からんでもないが、こんな人物はそうはいない。企業の希望はそうであっても、現実には妥協した人材ということになるのではないかとも思えるが、企業側は強気で、そういう人材がいなければ、採用しないまでのこと、と言う。

 こんなことを今、就活真っ最中の人たちに言っても、実は始まらない。今は、昨日も言ったように、ぎりぎりの自分で勝負するしかないし、自分を活かしてもらえるところに行くのが最善の策だと思う。

 むしろ、この記事から学ぶべきは、今の2年生や3年生である。これから就活が始まるまでの間に、企業の求めるこういう人物像に少しでも近づけるような工夫をする必要がある。それは何も企業の求めるものに迎合するということではない。実は、問題を自ら見出し、それを色々工夫することで解決する、それも従来からある常識的な解決ではなく、ユニークな発想で解決する、というのは、大学で求められる学問の方法でもあるのである。それは専門家のやり方だけではなく、大学生も卒論を書くような、主体的な研究をするときには、そういう方法を身に付けなければならないのである(そのことについては、また後日書こうと思う)。

 だから、のんびり、遊びながら大学生活を送ってしまっては、最後になって取り返しが付かない、ということを肝に銘じておいてほしい。                                                                                                                                    


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大学生になっても [ゼミ・教育]

 高校までは、毎日の勉強は習慣化し、予習、復習も当然こなしてきたかもしれない学生も、大学に入って、毎日時間をとって授業の予習や復習をする人は少ないだろう。もちろん、高校までだって、そうしているのはかなりの優等生かも知れないが、そうすべきだという一応の了解はあるだろう。

 それに対して、大学生が授業の予習・復習を自宅で時間をとってやるなんてことは、滅多にないだろう。もちろん、課題が出されていたり、語学・講読の予習をしたり、ということはあるだろう。しかし、それでも復習をすることはない。あとは定期試験の前に、まとめて復習するのがせいぜいかもしれない。

 そんなことはない。ちゃんと予習も復習もしている、という人がいれば、それはもちろん敬意を表する。

 真面目な話、毎日、あるいは少なくとも授業のある前の日と当日に、時間を決めて必ず予習と復習をすると、授業の実に付き方が段違いによくなることは請け合いだ。特に、演習系の授業はそうだ。当然のことだ。大学では、これもどうかと思うが、それぞれの授業は一週間に一回しかない。しかし、何事も、一週間経つとかなりのことを忘れてしまう。しばらくやっていると徐々に思い出してはくるが、それまでに時間がかかる。一度下降した学習曲線が、もう一度前回の地点までもどるに時間の半分を費やし、後半でやっと新しいことを始められる、極端に言えば、そういう授業が多いのではない。

 しかも、それは良心的な授業であって、そもそも学生が忘れても、構わず先に進んでしまうこともおおい。学生はやるべきことの半分くらいしか身に付かないままである。

 ピアノのレッスンも毎日やらないと指の動きが悪くなってしまう。それと同様、勉強も定期的に触れていないと、一定の理解を持続させていることができない。しばらく触らないとみんな忘れてしまう。

 だから、ピアノを毎日時間を決めて練習曲を練習するのと同様、勉強も、一週間ブランクを開けるのではなく、定期的に復習し、次回の予習をするのが、効率のよい勉強方法なのである。

 一度そういう習慣を作ってしまえば、どんどん知識や技術を吸収していく自分に驚くことだろう。これまで、何もしなかった人は、その違いに唖然とするに違いない。一日おきでも、とにかく予習・復習をすることで、その科目の意識が持続することになる。そうなると、学習曲線は、下降することなく、常に上昇していくだろう。問題は、その勉強時間を自分の生活の中できちん、定期的に確保することだ。


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就活--不採用通知 [ゼミ・教育]

 今、新大学四年生は、就活の真っ最中のはずだ。いや、三月に毎日のように会社を回って、面接や試験を受けてきて、その最終の面接の結果が出始めている頃だろう。たいていは、次々に不採用になり、手持ちのコマが少なくなってきて、不安になっている人も多いと思う。それどころか、自分が行きたいと思っていた上位の会社から断られて、落ち込んでいる人もいるのではないだろうか。そのことが、次のステップに踏み出す気力を失わせているのではないだろうか。

 同じことでも、見方によって色々の捉え方をすることができる。前に、「就活を楽しむ」という記事で、会社が自分を選ぶのではなく、会社訪問や面接、試験などを通じて、こちらが自分の行きたい会社かどうかを観察する、という余裕を持って就活したら、楽しみながらできるのではないか、と書いたことがある。

 今度は逆のことを言いたい。こうして面接や試験をするのは、企業が自分に適した学生を捜すためにやっていることであり、それに採用されないということは、その企業にとって学生が適していない、と企業が判断したことを意味している。このことは何もマイナスの意味に受け取る必要はない。その企業の活動内容が自分に合わない、ということを企業が教えてくれていると考えることが出来るのではないか。

 合わない会社に入っても、結局、幸せにはならない。その会社が合うか合わないかは、学生の方はよく分かるものではない。確かに、前に書いたように、就活はそれを観察する機会ではあるが、それでもその企業に勤め、人を見るのが役目の人事の人ほどには、その企業に適した人材かどうかは分かるはずがない。

 不採用になったということは、だから、未然にミスマッチを防げたということだと考えよう。大学に入る試験だって、その大学に入ってからの勉強や研究がやっていけるかどうかを調べていると考えことができるだろうが、大学の場合は、選択肢が少なく、また大学選択の幅も少ないので、もっと深刻だが、就活は、会社の幅はかなり広い。いろいろあるのだ。必ず自分に適した会社が見つかるはずだ。それに巡り会うまで、とにかく数をこなすことだ。不採用通知は決して自分に対する否定ではない。それを自分が否定されたと考え、就活を止めてしまうことの方が、折角の言い会社に巡り会うチャンスを逃すことになる。落ち込んではいられないし、また落ち込む必要も全くない。自分にぴったりの会社を見つけ、そしてその会社に自分を見つけてもらうまでがんばってほしい。


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