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血糖コンシャス [雑感]

 僕の母方の家系には糖尿病が何人かいます。癌も何人かいます。祖母と叔父が糖尿で、祖父と叔母が癌で亡くなりました。弟も既に糖尿が発病しています(?ってこれ、完璧な個人情報じゃないですか。)因みに関係ないですが、この母方の実家は、映画『下妻物語』の舞台の隣の隣くらいの筑波山麓にあり、あの映画の風景は僕が小さいときに、その実家に行ったときの風景に似ています。

 で糖尿病というのは、90%近く遺伝だそうで、僕もしっかりその血を引き継いでいるようで、危ない血糖値の綱渡りをしています。毎年の健康診断でも、常に危険な値をはじき出し、要注意マークがついています。時には、すぐ専門病院に行って再検査せよ、という指示がでたりします。

 しかし、ここ2、3年は小康状態を保っていることができました。それは、3年くらい前のクリスマスプレゼントに、妻が血糖値検査キットと贈ってくれて、それで日々、あるいは食前・食後などに自分で血糖値をチェックできるようになったためでした。まさに、逆説ではない「賢者の贈り物」でした。僕がそのとき何をプレゼントしたのか忘れてしまいましたが。

 こうして、自分の状態を常にチェックできるようになると、どういうときにどのくらい血糖値が上がるかがわかり、食事や、生活習慣、運動などに注意をするようになります。たとえば、食後によく眠くなったり、会議中に眠くなったりするのは、血糖値がかなり上昇していたためなのか分かったりしました。もちろん、動けないほど食べ過ぎてしまうのも(当たり前と言えば当たり前ですが)、できるだけ避けるようになりました。何の数値も知らないときは、一般的に悪いと思っても、つい度を越して食べてしまうのですが、数値を気にするようになると、自然とセーブする習慣がついてくるものです。

 もう一つ、血糖値を下げるのに効果があったのは、毎日のお地蔵さん参りでした。昨年春に、オカメインコのごろうちゃんが大病をしたとき(このときに話はhttp://ishihama.tibetan-studies.net/okamenomori/gorochan/PTSD.html">オカメインコの森



に書いてあります。)、近隣の神社・仏閣すべてに毎日お参りをしていたのですが、その中で、御嶽山神社という、割合由緒正しい神社の一角に「延命地蔵尊」がいらっしゃいました。神社に仏というのは奇妙なのですが、この延命地蔵尊には非常にありがたい由来が書いてありました。

「昭和13年7月5日の阪神大水害の折、西宮の夙川のほとりにあったこのお地蔵様の側で数人の女の子が助かった。そのうち一人の女の子の親、前田氏はその恩に感謝してお地蔵様の供養をはじめ、前田氏が東京に移住した際にも、このお地蔵様も一緒に大田区千鳥町に遷座した。前田ハルエ氏がなくなったあと、お地蔵様のお世話を引き継いだ人が近年御嶽山神社にお地蔵様を奉納した。」

見るからに優しい顔のお地蔵さまで、このお地蔵様のおかげでごろうちゃんが救われたのではないか、と思っています。そのお礼に、僕は東京にいる間中、妻は毎日、歩いてお参りをしているのです。大体往復1時間かかります。夕食後に行くことが多いので、(昼間ごろうちゃんが起きている間はできるだけ外出しないようにしています。)、ちょうど、このお参りが食後のいい運動になっているのです。

 おかげで、ここのところ、血糖値が正常値の上限ぎりぎりくらいまで、下がりました。ごろうちゃんと延命地蔵尊のおかげです。

 しかし、京都に来ている間は、大学での仕事はしても、食後、特に夕食後に歩くことがなく、あまり健康的な生活をしていませんでした。また、慢性的な不眠で、不眠と言っても寝付けないわけではなく、むしろ、5時間くらいで目が覚めていまい、あとが眠れないのです。そんなこんなで体調が悪く、先日朝に血糖値を計ったら、大して食べてもいないのに、200を超えていて、仰天してしまいました。

 それから、あわてて、いろいろなものに手を出して・・・・、という話はまた明日。


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ふたたび夏風邪 [雑感]

一体どういうことなんだろう。今年は、これで何度目かの風邪。たいてい喉が痛くなり、熱が出る。ほとんど同じパターンなので、直りきっていないのだろうか。

 論文は一昨日月曜日に一応の仕上げをし、英文要旨をちょこちょこと書いた。今年から『印度学仏教学研究』は英文要旨を付けることになり、しかもネイティブチェックをしてから提出せよとのこと。今はネット上で英文校閲してくれる会社が見つかるので便利だ。夜の1時過ぎにメールして、次の朝の10時すぎにはチェックが終わって納品された。

 そして、今週の土日は、ヨガフェスタでの講演がある。インド思想の中におけるヨーガ哲学?のようなタイトルだったような。要するには、現代のヨガをやっている人たちに、ヨーガ発祥の頃のヨーガの思想や、それがインド哲学の中でどのような関係にあるのか、そもそもインド人たちは何を求めて、ヨーガを含む哲学を追究したのか、哲学と実践の関係はどのようになっていたのか、というようなことについて話をする。

 1時間半で、突然聞かされるのだから、要点を絞らないと、消化しきれないことは必至。だけど、ついつい、欲張っていろいろ詰め込みたくなる。おおよその話の項目は分かったが、それをどの程度配付資料に書いたり、Powerpointに作ったりしなきゃならない。

 熱があって足腰が痛く、咳が出る。大丈夫なのか。

 そしてそれ以上に、どうなるか分からないのは、来週の月曜日からの後期の授業だ。月曜日は祝日や振替で休稿になることが多いので、来週月曜日、敬老の日であるにもかかわらず、授業がある。風邪が治らなかったら大変だ。


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大学生と夏休み [雑感]

 今日で八月が終わる。この八月はブログの更新がかなり滞った。原因の一つは、自宅の妻のパソコンが故障したことだった。自作PCだったので、原因を究明しながら、部分で手直しをし、結局はマザーボードとCPUを取り替え、ケースを取り替え、ハードディスクを取り替えた。いろいろな所に原因があったように思うし、ネットを調べると、ほぼ同じ構成で同様に動かなくなっている例が見られた。全部当てはまっている・・・・。

 特に最終的にはハードディスクが壊れていてWindowsが起動せず、ただし、データはアクセスできたので、別にハードディスクを買い、最初はハードディスク毎コピーしたが、そうするとエラー箇所までコピーされて、新しいハードディスクの方も起動しなくなった。

 最終的には、Windowsを新規インストールし、ソフトも全部インストールし直しだった。これが非常に時間のかかる作業だった。ハードの修復よりもソフトの修復の方が遙かに手間と注意が必要である。データそのものは、コピーできたので問題なかったが、それでも新しくインストールし直したソフトにそれを認識させたり、環境を設定したりと、大変だった。

 論文も、内容的にはおもしろいのだが、なかなか進まなかった。いつものことだが、やっていくうちに、規定の規模では収まらないところまで研究が進んでしまうのだった。気になることをそのままにして、取り敢えずまとめるというわけにも行かないので、書きはしないが、一応の理解が得られるところまでは考えてみた。しかし、今回の論文にまとめるのは、そのうちの一部だけで、後は次回の論文に回さなければならない。

 こうやって八月が終わる。幸いなことに大学の夏休みは九月半ば過ぎまであるので、まだもう少し、まとまった作業ができる。と言っても、論文を仕上げたり、科学研究費補助金でやっている研究を再開したり、前期期間中に積み残しの翻訳があって、それをもう少し先に進めたり、そして、九月十七、十八日に『ヨガ・フェスタ』で、インド思想の中でのヨーガの伝統について講演をするための準備をしたり、と、ほとんどがやり残した仕事の続きをする、ということになる。

 大学の授業期間というのは、実はほぼ半年程度である。半期が12、3週だから、年間で25週程度。一年が52週くらいだから、実質半年である。つまり、あとは休みである。といっても、教員の方は、完全休業というわけではなく、会議や準備などでそれなりに時間が取られる。一番まとまって休みになるのが、夏休みで、特に八月は全く大学へ行かない。

 学生にとっては、夏休みと春休みがほぼ同じくらいの期間で、大学は休業である。ただし、大学三年生の春休みは就活に忙殺されるので、この期間は休みなしと考えた方がいい。あとの長期休暇をどう過ごすかは、それぞれの自覚次第ということになる。

 社会人になれば、こういう長期休暇はとれないから、この期間に長期旅行にでかける人が多いだろうし、あるいは免許をとったり、それらのためのアルバイトをしたりすることだろう。実家に帰って、ゆっくりする人もいることだろう。僕自身が学生のころはどうだったろうか。実は今と余り変わっていなかったような気がする。大体は研究の続きをしていたのだと思う。僕たちのような職業は、公と私の区別をつけにくい。研究は公なのか私なのか。その両方のようだし、仕事が終われば自分の時間になる、というものでもなく、ほとんどいつも自分の時間で、自分のやりたいことを追求しているようである。夏休みだから、普段休めない分をゆっくり休むということは考えない。普段まとまった時間がとれずにできなかったことをやったりはするが、それはやはり仕事の延長のようでもある。

 そういう目から見ていると、大学生の夏休みの過ごし方は、やはりまだ子ども時代の延長のようである。楽しい夏休みが一月半続く。小学生のころから毎年そうだった夏休みを、そのまま当然のように繰り返しているように見える。もちろん、それが悪いわけではない。そういう成長過程にいる、ということを自覚してほしいし、小学生からの夏休みが、これからもずっと続くわけではなく、社会に出てからは、もっと自由のきかない休みになってしまうことを見据えて、今を充実して過ごしてほしいと思う。


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東京は台風が近づいてきた [雑感]

今日は一日雨。今、今日が終わろうとしているが、さらに雨は強さを増している。台風が近づいているのである。ここのところ、天気が悪く、雷雨があったりして、気温はかなり涼しくなってきて、過ごしやすくなっていた。しかし、一日雨でしかも台風の風が強くなり出すと、折角の夏休みも台無しである。

 ただ、休みだから何かをする、というわけではない。というか、休みだから(まとまった時間がとれるので、)論文を書いているのだが、それでも一日やっていると気分転換に、どこか近くの町、渋谷とか自由ヶ丘とかにふらりと行ってみたくなるものだ。しかし、こう雨がひどくては外に出る気にならない。目的があれば、それでも何とか出かけるが、目的なく何となくぶらぶらするような気候ではない。

 気分転換と言っても、実際には今取り組んでいる論文のいろいろな内容が頭を占めてはいて、それから離れることはない。気分転換というのは、要するに、体の姿勢を変える、ということで、机の前で考えるのではなく、ただ歩きながら、あるいは電車に乗って考える、ということである。だから「気分」を換えているというよりは、姿勢転換と言った方がいいかもしれない。

 特に歩きながら、というのは、身体的なリズムが血流を促進するのか、あるいは思考のリズムを生むのか、脳内の酸素がよく供給されるのか、いろいろとアイデアが浮かんでくる。大抵は書き留めておかないと、家に帰る頃には忘れてしまうが、それを承知で、その中でも重要だと思われる着想を選んでは、それを出かけている間中、反復して思い浮かべ、忘れないよう、またさらにそこから先の展開も考える。出かけている間にそういう着想を思いつくかもしれないので、こういう気分転換は、積極的に利用したいのである。

 しかし、いずれにせよ、今日はどこにも出かけられなかったので、また、もう締め切りも近づいているので、今更新しい着想もあったものではないので、何とか、アウトラインを作って、これまでにメモで書いてきた断片を整理して、一つのストーリーを作らなければならないのだが、いかんせん、なかなかその思い切りができずに、白紙の紙の前で逡巡した一日であった。


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マザーボードが亡くなった、らしい [雑感]

ここ二日ほど、更新できなかった。これは初めてのことだ。実は、2日前、妻のデスクトップPC(自作PC)が終了できなくなった。終了処理が終わると、勝手に再起動して、電源が切れなくなった。

 「突然、」と言いたいところだが、その徴候は、ここ一月ほど、時々出ていた。まず、ネット関連の作業(はっきりしない、メールを確認していたかもしれないし、IEでどこかのページに行ったかも知れない)をしていたとき、突然Windowsが落ちて、青いクラッシュ画面になり、メモリのダンプを始めるのだった。ダンプをみても仕方ないので、機械の方の再起動ボタンを押して対処していた。

 そのうち、ある特定のWebサイトに飛ぼうとしてリンクをクリックすると、突然、やはりクラッシュ画面になってしまうようになった。そのページへのリンクは必ずダメだった。これはIEだけで、Firefoxでは大丈夫だし、Macでも問題がない。ソースコードを見ても、何も特別なことはしていないページだった。

 また、最初に起動するとき、電源の付きが悪くなっていた。電源ボタンをよほど押し込まないと付かなくなっていた。そのこともあり、一昨日終了できずに勝手に再起動してしまうようになったとき、まずはボタンか電源関係が壊れたのではないかと疑った。妻は、20日から中国に調査旅行に出かけるので、その準備をする必要があり、何とか早急に復旧する必要があった。

 そこで、急遽、午後に秋葉原に出かけて、電源付きのPCケースを買うことにした。あちらこちら見て歩き、160GのHDDと12000円ほどのケースを買ってきた。その夜は以前のケースから全ての機器やマザーボードをはずして、新しいケースに付け替えていった。マザーボードのマニュアルもなくなっていたが、幸い、メーカー(ASUS)のWebサイトで見ることがてきた。

 そうやって深夜に移行が終わり、コードをつないで電源を付けてみると、・・・・なんと今度は起動どころか、画面が全く出てこなかった。BIOSの初期画面にもいかない。HDDのアクセスもしている風ではなく、またCDドライブからKnoppixで起動しようとしても(以前はもちろんできていたが、)、これも全く反応がない。

BIOSの初期画面にも行かないということは、マザーボードかCPUが壊れていることを示唆していた。暗い気持ちになってマザーボードを物色するために、kakaku.comのマザーボードの項目を見ていたら、うちで使っていたASUSのA7N8Xを、同じAthlonの2400+で使っていて、ダメになる過程がうちと全く同じ過程を辿っている人の書き込みがあった。いろいろな人がアドバイスをし、その質問をした人も、CPUのほこりをとり付け直してみたりしたら、正しく動いたという報告があったが、それから再び、やっぱりもう一度起動しようとしたら、起動できなくなっていた、という書き込みがあった。

 どうも熱でCPUからチップかが焼かれてしまったらしかった。これを読んで僕は、時間を考えても、これ以上の試行錯誤はムダであると思い、翌朝ふたたび秋葉原へ出かけ、今度はIntelのCPUとIntelのチップセットを使っているマザーボードを購入してきた。

 しかし、それを取り付けている時間はないので、内蔵HDを外付けにするキットを最安値(1980円)で購入し、取り敢えず重要なデータ、中国に持っていく必要のあるデータだけをLet's Noteに移すことにした。

 幸いなことに、何日か前に報告したように、PanasonicのLet's Noteを買っていたので、重要なデータさえ移せれば、後は1週間ほどでデスクトップを移行すればよい。まだLet's Noteの設定やソフトのインストールも終わっていなかったが、それと並行して、重要な、あるいは必要なデータを移行することにした。これでまる2日、作業に追われることになった。

 以上も、ゼミ生の夏休みの課題を出せていない忙しさの言い訳である。明日には妻も中国へ1週間ほど旅立つので、とりあえず、課題をアップし、提出されたプログラムのチェックもしようと思う。すみません。


お芝居と秋葉原 [雑感]

 この二つには、何の関係もない。単に僕は昨晩、お芝居を見に行き、今日は秋葉原をうろうろして、二日続けて帰宅が遅く、疲れたので、メールのお返事が明日になってしまいます、というお詫びの記事である。

 それでお終いでは何なので、まずお芝居の報告から。「フツウの人々(3)」という題で、長崎に原爆が投下される直前の、長崎のある個人病院での1週間くらいの日常風景を描いたもの。そういうフツウの人々の生活が、何の前触れもなく、突然の閃光とともに暗転して消えてなくなってしまう、という訳である。

 これは、そもそも劇を見る前から想像がついていた話で、しかも、結局のところ、その一瞬の暗転にこの劇の主張の全てがかかっているわけだ。それに見合うだけの、具体的でリアルな日常生活の劇を築き上げようとしていたのたが、そもそも「フツーの生活」であろうとすると、そこには人を引きつけるだけのドラマがなく、飽きてしまう。そういう「フツーの生活」がその演劇の時間の99%を占めることになる。

 お分かりの通り、コンセプトが先に出来て作られた脚本であるため、劇としては無理があるのである。

 それでは、どうして見に行ったのかというと、実は妻のいとこが出演していたためだった。普段は、下北沢のもっと小さい芝居小屋でやったりしているのだが、今回は、紀伊國屋ホールで、席も前から数列の真ん中といういい席だった(これは関係ないか。)。いとこは、特定の劇団に属さず、フリーでいろいろな講演に助っ人ないしはゲストで出演している。今回は紀伊國屋ホールでやるような劇団だったので、それなりに名前が通っているのかもしれない。しかし、これまでの名前も知れない劇団の劇の方が、正直おもしろかった。(とは言え、どういうわけか、こういう演劇って、どこか説教臭い主張に帰着するんだけど。)。次回はもっと場末の小屋で熱演できるような芝居に出て下さい。

 それで、今日は、午後から夜まで秋葉原と渋谷で様々な電子機器を購入して回った。メインはノートパソコンとデジカメ、そしてその周辺機器やソフト。自分で使うものではなく、妻が使うもので、20日から一週間中国に行くのに合わせて購入した。

 こういうのを購入するときはまず、「価格.com」で調べてから機種を決める。今回は、直接、店に引き取りに行くつもりだったので、同じ秋葉原に位置している卸問屋を2件選んだ。ただし、位置的には秋葉原の一方の端ともう一方の端でかなり離れている。その間を、必要な周辺機器を求めて何軒かハシゴをしていくので、かなり疲れた。「あきばお〜」も2軒ほど回った。それでもまだ必要なものが揃わなかったので、最後に渋谷まで来て、ビックカメラで残りの周辺機器を探したが、結局買い切れないものが残った。これは明日また、それを求めてどこかをさまよわなければならない。

 というように、2日にわたって夜が遅かったので、仕事が進みません。もう少しお待ち下さい。


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また、ダウン [雑感]

 まだ風邪が完全に治っていなかったのか。そういえば、声がかすれていて、低い声しかでない。授業でしゃべっていると、ハスキーボイスがひどくなる。これは自分の声じゃない。(ただし、自分の普段の声が好きなわけではない。)

 だんだんと頭痛がひどくなり、頭痛薬をいくら飲んでも全く効かない。生あくびが絶えない。

 忙しいからなのか。そういえば、来週は海の日も大学があり、さらに試験期間は27日まで、次の日から二日は学会(学会発表もするので、その準備もある。)、そして次の8月1日はオープンキャンパス。その模擬授業の準備(前に書いたように、僕がやるのではなく、ゼミ生に来てもらってプレゼンしてもらうのだが、その準備はやはり必要だ。)があり、結局、夏休みになるのは8月2日から。これは、普通の大学人としては、かなり忙しい部類に入るだろう。

 しかも、夏休みは夏休みで、ゼミの夏休みの課題を毎週準備する。論文を一つ書く。など、休みだからと言って、休みではない。

 ともあれ、今日は、根を詰めたことが書けないので、この辺りでまた明日。


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また風邪 [雑感]

一月前にも風邪をひいたが、どういうわけか、また風邪をひいた。同じ系統のもののようだが、今度の方が劇症で、熱が下がらない。37度後半から38度前半を行ったり来たり。そのうえで、唾液を飲み込むときにも喉が痛く、その痛みは耳の奥の方にも響く。咳をすると、胸の方まで痛む。こりゃ風邪というより、気管支炎じゃないか。

 普通なら、1日分くらい飲めば直る医者の薬も、2日飲んでも、3日飲んでも全然効かない。医者を変えて、耳鼻咽喉科に行っても、スコープでよく見てくれはするが、出てくる薬は同系統のもので、やはり、即効性はない。

 それでも、大学はできるだけ休みたくはない。よく考えてみたら、学生は風邪で一人が休んでも、特に態勢に影響はないが、教師が休むとその影響は甚大だ。その授業をとっている学生全員に影響が出る。特に、学期末が近づき、その回数を見計らいながら授業を進めているが、そういうとき一回でも休むと、予定がこなせなくなってくる。

 一週間くらい、何もせず寝ていた方がいいに決まっている。しかし、一週間休むと、全ての予定が狂ってしまうので、何とか出校する。この時期、僕は余り教えることはなく、学生に総仕上げの課題をやらせたり、Webサイト作成のような、何をするかが分かっている作業をやらせたりしているので、実は授業といっても、最初にその日の予定を説明したら、あとは座っているだけでいい。元気なときは、それぞれの作業の様子や進展を見て回り、質問を受け付けたりするが、アシスタントがいるので、それもアシスタントに任せて、どうしても解決できないときだけ、出向くことにしている。

 つまり、何かを教えているのではなく、取り敢えず、そこにいることが大事なのだ。いなくたってできることのはずだが、やはり僕がいなかったら、学生はやらなくなってしまう(らしい)。教育熱心というのとはちょっと違うのだろう。

 しかし、とにかく熱が下がらずふらふらしながらだから、諸事滞っていて、やるべきこと、頭を使うことは、全然手が着けられない。四年生の卒論の面倒を見ることは、そのできないことに入る。もちろん、今月末にある学会発表準備も全く手が着けられない。wythonのインプリメントもしかり。実はこのことの言い訳をしたかったのだ。


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のめり込む性格 [雑感]

 僕は今の大学に来る前は、東洋文庫という東洋学の研究機関のチベット研究室というところにいた。もともとはインドの仏教論理学を専攻していたが、チベット研究室で研究事業を推進するために、チベットをテーマにした研究を専門にするようになった。東洋文庫は財団法人の研究所・図書館で、そのため財政基盤は脆弱であり、歴史と伝統がある割には専任の研究員は僕を入れて3人だった。人も金もなかったことになる。僕が専任になるまでは、チベット研究室は、ほとんど開店休業状態だった。僕はその中で何とか東洋文庫のチベット研究室をもり立てるために、様々な研究事業をしてきた。チベット研究室の存在(自体は世界的にも有名だったが、その割に活動は停滞していたので)を世にアピールするために、学界に貢献するような基礎作業を提供しようと考え、いくつかの索引や翻訳、校訂出版などを公刊した。その後、Macintosh上でチベット文字が扱えるようになると、それを使ったチベット語文献のデータベースを作成するようになった。

 おりしも、(当時の)文部省から補助金が東洋文庫に下りることになった。そこで、東洋文庫をどのようにアピールしたらいいかを議論し、アジア各地域の膨大な図書と研究があるのだから、多言語のデータベースを作成するのが売りになるだろう、ということになり、Macintosh上で、特にアラビア文字やチベット文字など特殊言語の図書データベースを作成することにした。こういうことを安価でやってくれるような企業は、存在せず、東洋文庫内部で(ということは、僕が)プログラミングをして、その体制を作った。

 さらに別の補助金で東洋文庫のネットワーク化とインターネット接続をすることになった。これも外注はできないので、東洋文庫内にサーバーを数台設置し、WebサーバーやメールサーバーをFreeBSD上に構築すると同時に、内部向けにはMacinsoshのサーバーを立ち上げ、全館どこからでも作業をできるようにした。

 ある程度データが貯まった段階で、Web上でそのデータのオンライン検索をできるようにもした。シンプルだが、極めて高速に検索する。多くの一般ユーザーは、複雑なことができるけれども遅いシステムより、単純だけど即座に答えが返ってくるシステムの方を高く評価するものだ。そういうユーザーの心の底の要望を実現しようとした。

 これらを全て研究所内で作成していたわけだ。そのうちに余りにも忙しくなってしなったので、週に2、3日ほど半日だけデータベースのプログラマに応援に来てもらうようになって、二人で作業を分担したので、多少楽にはなったが、それでも、東洋文庫という弱小の研究機関が、多言語のデータベース、LAN、オンライン検索を含むWebサイトを構築・公開したのは、先駆的なサービスとなった。

 僕はこの作業にのめり込むように取り組んだ。もちろん、それだけで出来たわけではない。多くのアルバイトや職員の努力があったからだが、そこにエネルギーを注ぎ込み続ける必要があった。僕は自分のことは後回しにして、東洋文庫やチベット研究室をもり立てるために力を注いできた。それは「人のため」になると同時に、それを使って喜んでもらえたり、満足してもらえることが、僕にとっての喜びでもあり、やる気の源でもあった。しかし、同時にそれは東洋文庫全体の体制を僕の個人的な情熱に依存させ、スポイルすることにもなった。

 東洋文庫から大谷大学に移るとき、環境が変わって心機一転、行動パターンを少し変え、組織の機能に関わるようなことはできるだけ避けようと考えた。しかし、そうこうしているうちに、最近のブログの記事でも分かるように、僕は自分の所属する学科をもり立て、宣伝するために、大谷大学人文情報学科版Knoppixを作成、配布し、さらに学科のオフィシャルWebサイトも構築しようとしている。

 それだけではく、授業にもかなりの精力を傾注し、学生を「教え育てる」ことに努めようとしている。確かに、組織の機能に関わることはないが、つまり僕一人のできる範囲内のことではあるが、やはり、目の前の「やった方がいい」と思うことにのめり込んでいることには変わりはない。

 確かに僕は何にでものめり込むわけではない。よく考えてみたら、自分が属する組織や給料をもらっていることに対して、過剰に適応しようとし、そこを(僕が勝手に)理想(と思い込んでいる方向)に向けてドライブしようとしてしまうのだった。これは、人に何かを強要しない限りは、人に迷惑をかけるようなものではなく、むしろ歓迎されるものではあるだろう。だから誰も止めはしない(僕の妻だけは常にこの暴走を止めようとしているが)。ただ、いかにも異常な、普通そんなことしないよ、というような暴走に見えるの事実だ。

 ついつい目の前の緊急事と僕が思うことに時間と労力を傾注してしまうことは、ある種のひずみを色々なところに残していく。そのことに気付くとき、何とかそのドライブを引き留め、異常事態に陥らないようにしたいと思ってはいるが、後の祭りになってしまうことの方が多いのがつらいところだ。


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読み直してみたら [雑感]

僕のブログの文章はかなりいい加減だ。言葉の重複、文の前半と後半の不一致、脱字(誤字は少ないかも知れない、が、もちろんそれはIMのおかげであって、僕が正確なわけではない。)、論旨不明確、というか、長すぎる。もっと簡潔に書けるはずではないか、などなど。

 その上、これはso-netのブログの問題だろうが、文字が小さい。もしかしたらWindowsではそれほど小さくないかもしれないが、PowerBook G4 15inch MacOSX上では、ホントに小さい。小さい上に段落が塊のようにようになっているので、読みづらく通読に耐えない。

 このso-netのデザインはさておき、文章の件について言えば、僕は一度書いたら全く読み返さずにアップしてしまう。時間がない、というのもあるし、また文字が小さいということもある。推敲すれば、もう少しまともな文章になるものを。たまに気付いたときには、修正しているが、それも最近のものだけであって、もう1、2週間以上前のものは、書き直しもしない。

 読者(がどのくらい読んでいてくれるか分からないが)のためには、文字を少し大きく、簡潔に、推敲した文章を提供した方がいいに決まっている。どういうわけか今日のアクセスは非常に多く、いつもの倍程度ある。これを気に、できるだけ読み直して、少なくとも日本語のおかしいところは直すことにしたい(が、確約はできない。できないことの言い訳をしているのかもしれない。)。


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